年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

感謝と生き甲斐を持って菩薩道を歩む――それが釈尊の一番の願い

立正佼成会発祥の地・修養道場のご宝前を前に

私は昨年、数えで八十八歳のいわゆる「米寿(べいじゅ)」を迎えました。本会では、三月二十日を皮切りに、延べ八回にわたり大聖堂で「お祝いの集い」を開いてくださいました。

集いの中で「佼成会に入会して本当によかった」という信者さんの言葉を耳にするたび、私自身、本当に元気を頂いた気がしました。〈佼成会員としてお互いに一歩一歩成長してきたのだなあ〉としみじみ思いました。何より、全国の親戚が集まってお祝いをしてくださったという気持ちがして胸がいっぱいになりました。皆さま、ありがとうございました。

人間は誰もが例外なく年を取ります。それが自然の摂理(せつり)であります。にもかかわらず、多くの人が老いることを嫌い、遠ざけようとします。しかし、老いを嫌っている間は、まだ未熟(みじゅく)なのだといわれます。

老いとは、単に齢(よわい)を重ねることではありません。数々の経験を積み、思索(しさく)を深め、人格を完成させていく努力の過程であり、そこに深い意義と誇りを持つようになるのが本来の人間の姿であると教えられています。

もちろん何事(なにごと)においても「これで完成した」ということはありません。ですから、常に学び、人間として向上するよう精進を続けていくのです。このことを宮沢賢治は、「永久の未完成これ完成である」といいました。安易(あんい)に分かったつもりにならず、生涯をかけて求道(ぐどう)していくということでありましょう。

振り返れば、私も若い頃は、佼成会の信仰に反発しました。しかし、経験を積み、学んでいく中で、釈尊が私たちにお伝えになりたかった精神がはっきりと分かってきました。そして高齢になってからは、釈尊の教えを我が身、我が心で実感として受けとめています。

「法句経(ほっくぎょう)」の中に、すでに皆さまもご存知の大事な一節があります。

「人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し。正法(みのり)を耳にするは難く、諸仏(みほとけ)の世に出(い)づるも有難し」

現代の言葉にすれば、「人が生命を受けることは難しく、必ず死ぬことになっている者が、たまたまいま生命があることは滅多(めった)にないことだ。生命を受けたとしても、その生きている間に、正しい教えに接することは滅多にないことであり、仏さまが満ち満ちているこの世、地球に生まれることも滅多にないことである」ということです。

このわずかな言葉の中に、釈尊の教えそのものがあると私は受け取っています。

私たちのいのちがいかに不思議で、尊く、有り難いか。仏法に出遇(であ)うことがいかに稀有(けう)なことか。それを自覚することは、一番大事な生き甲斐(がい)の発見に結びつきます。

不平不満で生きるのではなく、頂いたこのいのちに感謝して、朗らかに生きていく――仏法を頂き、信仰生活をおくるということは、簡単にいえばそういうことではないかと思います。

もちろん人生には、さまざまな悩み、苦しみが伴います。しかし、いまこの瞬間、どれほど多くのことに恵まれているかに気づくと、くじけずに前を向いて生きていこうという気持ちがわいてきます。これまで不都合(ふつごう)と思ってきた現象の中にさえ感謝を見出(みいだ)せるようになっていくのです。

まして私たちは皆、共に仏性(ぶっしょう)を宿し、真理・仏法を認識する能力も、自分で問題を解決する力も具(そな)えていると諭されています。

ですから、「自分は至らない人間だ」「私にはできない」といっていないで、仏教徒として、釈尊の教えを素直に受けとめ、実践することが、幸せな人生を歩む出発点であります。

私はいま、手足が動きますし、呼吸をすること、話すこと、食べることもできます。生きる上で不可欠な空気や水は、自分がつくったものでなく、自然からの恵みです。そして、多くの人々に支えられています。日常のあらゆることに感謝のできる人間になることは、実は、この上ない幸福を得ることにほかならないのです。

人間として生を享(う)け、天地万物(ばんぶつ)に支えられ、生かされて生きている。そのことに感謝し、生き甲斐を持って、菩薩道を歩む――それが釈尊の一番の願いであることを、数えで八十九歳を迎えたいま、改めて心底から分からせて頂いています。

このことを信者の皆さまと共に、深く胸に刻み込むことができたら、人生は真に意義あるものとなるに違いありません。

本会は二年後には、創立九十周年を、そして十二年後の令和二十(二〇三八)年には、教団創立百周年を迎えます。

信仰生活を通して、斉家による幼少年・青年達の人間形成、日本の伝統を受け継いだ平和な国づくりを着実に進めてまいりたいと切に願っています。

修養道場は1948年12月28日に落成され、64年に大聖堂が建立するまで教団本部が置かれていました。94年の大聖堂建立30周年を機に現在の名称に変更してからも、会員からは「旧本部」と呼ばれて親しまれ、心の依りどころとなっています。2011年の東日本大震災を機に耐震補強工事が行われました。その際、かつての修行の雰囲気を参拝者に味わってもらいたいとの願いから、ご宝前には、1963年に大聖堂の永寿殿に勧請された庭野日敬開祖直筆の「大曼荼羅」の複製が安置されました。