立正佼成会 庭野日鑛会長 2月の法話から

人生は不思議の連続

百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)という方の公案(問答)の中で、こういうことが言われています。

ある日、一人の僧が和尚のもとを訪ねてきて、「如何(いか)なるか是(こ)れ奇特(きどく)の事」――何か珍しいこと、変わったことはありませんか、という質問をしたそうです。そうしましたら、百丈和尚の答えは、「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」ということだったのです。どういう意味かというと、大雄山という山にお寺があり、この通り、わしが大雄山に座って修行していること、これくらい変わった、珍しい、不思議なことはないではないかということです。

私たちも何か奇特なこと、不思議なこと、珍しいことはありませんかと聞かれたとしましたら、私たちが今ここ、大聖堂にいることは、考えてみたらとても不思議なことであります。この(大聖堂に集っている)メンバーで、これから再び集まるといっても、なかなかできません。きょう一日だけです。本当に大変珍しいこと、不思議なことと言えるわけであります。

私たちは何か変わった特別なことがないと、不思議だと考えないのですが、本当は日々、刻々の時間を過ごしていることが、とても不思議な、有り難いことであるのです。
(2月1日)

画・茨木 祥之

しっかりとした家庭を築くことから

人間世界で一番大切にしていくべきことは家庭です。子どもを健全な青年に、大人にするには家庭での父母のあり方が非常に大事であると、いつも申し上げています。

今はもちろん、一人暮らしの人もおられると思いますけれども、父母(ちちはは)のおかげさまで命を頂いて、そこで育って、ある程度の躾(しつけ)もあって、そして学校に通っていろいろな勉強をするのですから、家庭の父母のあり方が何より大事であります。ですから「斉家(せいか)」――家庭を斉(ととの)えていきましょうと、ずっと申し上げているわけです。

家庭を大切にして、安岡(正篤)先生の「父は子どもの尊敬の的(まと)でありたい。母は子どもの慈愛の座(ざ)でありたい。なぜかなら、家庭は子どもの苗代(なわしろ)だから」という言葉を心に留めて、精進させて頂いているところであります。
(2月1日)

真剣に生きる

道元禅師は、『法華経』をたくさん読まれたそうです。私たちは今、読経の際、最初に「道場観」を読み上げますけれども、その「道場観」をいつも読んでおられたそうであります。それを唱えながら亡くなられたとさえ言われているぐらいです。つまり真剣に生きなさい、というのが道元禅師の教えであったということです。「是(こ)の処(ところ)は即(すなわ)ち是れ道場なり」――私たちが生きているところ、どこでも道場です。私にとっては、今話をしているここも道場ですし、家でただぼんやりしているとき、それも道場であります。とにかく、私たちが生きているところ、そのところが道場なんだ、そこで今しっかりと人生を味わいながら生きていきなさい、真剣に生きていきなさい、というのが道元禅師のお答えだったということであります。

私たちにも、やがては亡くなるときが来ます。それまで一生懸命に精進していきたいという気持ちで、皆さまに話を申し上げています。それはまた、私自身に話していること、心がけていることであります。
(2月15日)