立正佼成会 庭野日鑛会長 7月の法話から

田植えをして

道元禅師の有名な歌がございます。

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」

6月16日に、私は青梅で学林生と共に田植えをしました。そうしましたら、ホトトギスが鳴いていました。皆さん、ホトトギスはどう鳴くと思いますか。皆さんの地方では、どう鳴きますか。私が田舎(新潟県十日町市菅沼)にいたときには、「ホンゾンカケタカホッキョッキョ」と鳴くということでした。

そういう鳥の声を聞きながら、学林生と一緒に田植えをしていると、何かとっても気持ちがいいんですね。元気が出てくる感じがしました。ホトトギスの鳴き声を聞いて、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」という歌は、本当にそうだなと思って帰ってまいりました。

学林が創設されて今年で60年が経ちました。人間が生きていく上で一番根本の田んぼで、田植えをしたり稲刈りをしたりしてお米を取る。学林生はそういう体験をした方がいいのではないかということで、何年か前から田んぼをつくっています。

実際に田んぼをつくって、田植えをしたり、稲刈りをしたりという体験は、人間にとってとても大事なことです。今年(の収穫の目標)は60キログラム、ちょうど1俵(ぴょう)ですね。本当にできるかどうか楽しみにしています。
(7月1日)

画・茨木 祥之

いつも自分と向き合い

庭野家は、(新潟県十日町市)菅沼では曹洞宗(の檀家=だんか)でした。私は曹洞宗の開祖である道元禅師が好きでして、こういう言葉があります。

「此(この)一日の身命(しんめい)は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸(けいがい)なり、此(この)行持(ぎょうじ)あらん身心(しんじん)自(みずか)らも愛すべし、自らも敬(うやま)ふべし」

「身命」とは命、私たちの命です。「形骸」とは体のことです。「行持あらん身心」の「行持」とは、仏道を常に怠らず修行しているということで、その自分を愛すべし、敬うべしと述べられています。私はこの言葉がとても好きで、家でもいつも唱えています。

道元禅師も、法華経を読むのが楽しみで仕方がないという方でありました。私たちは、法華経の修行とは、日常生活の只中(ただなか)、最中(さいちゅう)にあると教えて頂いています。家にいる人は家で、会社に行く人は会社で、今そこで働いているとき、そこがわれわれ法華経の修行者の修行の場であり、そこで一生懸命に修行するということです。

そうした自らを愛すべし、自らを敬うべしと道元禅師はおっしゃっています。私たちは日頃、自分の身を、どのように見ながら人生を歩んでいるのか。そのことを、こうした尊い言葉を読むと分からせて頂けるような思いがします。
(7月15日)

いつまでも学び続けよう

中国の南宋――西暦1127年から1279年ぐらい――の時代に、朱新仲(しゅしんちゅう)という方がおられ、人生の「五計」を人生訓として述べられています。

その一つが「生計(せいけい)」で、いかに生きるか、生きるべきかということです。次が「身計(しんけい)」で、いかにわが身を社会に対処させるかという計画であります。3番目は「家計(かけい)」で、家庭をいかに営んでいくかということ。4番目に「老計(ろうけい)」。いかに年をとるかという計画です。最後は「死計(しけい)」で、われ、いかに死すべきか、ということです。きょうは、この「老計」についてお話ししたいと思います。

日本に佐藤一斎(さとう・いっさい)という有名な儒学者がおられて、『言志晩録(げんしばんろく)』という中にこういう言葉があります。

「少(わか)くして学べば壮にして為(な)すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽(く)ちず」

これは、少年のときに学べば、壮年にして、何事かを為すことができる。壮年のときに学べば、老いても気力の衰えることはないということです。また、老いて学べば、死んでからもその名前が朽ちることはないと。例えば本でも出せば、それが後の人の役に立つということです。

私も、この言葉のような人生を歩んでみたいと思っています。振り返ってみますと、私などは少年の頃、そして壮年の頃は、ほとんど学んでいない、そんな思いがしてならないわけであります。今、私は「老いて学べば死して朽ちず」というところに、ようやくたどり着いて、真剣に学んでみたいと思っているところです。
(7月15日)

心が明るくなる学びを

貝原益軒(かいばら・えきけん=本草学者、儒学者)という方が、有名な『養生訓(ようじょうくん)』という教えを遺(のこ)されています。その中にこういう言葉があります。

「人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす。天地父母のめぐみをうけて生(うま)れ、又(また)養はれたるわが身なれば、わが私(わたくし)の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年(てんねん)を長くたもつべし」

体をいつも大事にして健康で、天年(天寿)をたもたなければならないということです。

昔は、人間の一生を100年と考えて、「上寿(じょうじゅ)」が100歳、「中寿(ちゅうじゅ)」が80歳、「下寿(かじゅ、げじゅ)」が60歳と言われたそうです。60歳でやっと、上中下の下に到達するのであり、60歳になって一生懸命に学んでいくことが大事であると説かれています。

人間は学べば、星が輝いているように、心中が明るく冴(さ)えてくる、という言葉もあります。いつも心の中が明るく冴えるような学びをしてみたいと、今思っているところです。
(7月15日)