立正佼成会 庭野日鑛会長 1月の法話から

身をもって範を示す

父親のあり方として、とても理想的な方が中国におられたそうです。謝安という方です。

この方の奥さんは、“教育ママ”だったようで、ご主人にこう問いただしたそうです。「あなたが子どもをお教えになるのを、これまで見たことはありませんが、どういうわけですか」。そう詰め寄ったというのですね。そうしましたら、ご主人が、「私は言葉でこそ教えないが、四六時中、身をもって後ろ姿で教えているのだがね」と答えられました。この方は、後ろ姿で教えられる素晴らしい方だったのです。

子どもに、ただ言葉で教えたから、それでいいということではありません。むしろ言葉で教えると、どうしても親は子どものことをいろいろ強く責めてしまう傾向があります。そうではなくて、何も言葉では教えていないけれども、後ろ姿で教えている。そうした父親が家庭にいることが、幼少年・青年たちを育てる上で大事であると思います。

このような一家の主人となっていくことが、家庭を斉(ととの)える一番のもとではないかと、私は受け取っています。
(1月15日)

画・茨木 祥之

仏になれる私たち

良寛禅師の言葉に、「世の中に 何が苦しと 人(ひと)問(と)はば 御法(みのり)を知らぬ 人と答へよ」とあります。

御法とは法(ほう)のことです。ご法をちゃんと、正しく受け取れていれば、苦しいことはみんな解決する。ご法を知らぬことが一番苦しいのだとおっしゃっています。

私たちは、仏さまの教えを頂いています。釈尊は法を自覚することによって悟られて覚者(かくしゃ)、すなわち仏となられたわけですが、法というのは、宇宙のあらゆることに当てはまる大法(たいほう)です。これは釈尊が悟られたわけですが、釈尊の独占物ではありません。私たちももう頂いており、私たちのものでもあるのです。

法を自覚する可能性があるのは、地球上に生きる命あるものの中では人間だけです。他の動物、例えばネズミは地震のときに逃げるという自然の感覚が鋭いようですが、人間はそういう感覚は衰えていても、釈尊のご法を自覚する可能性は賦与(ふよ)されています。

昔から、「人身(にんしん)受くること難(かた)し」、人間に生まれることはとても有り難い、大変なこと、素晴らしいことという言葉がありますように、人間として今、命を頂いたことに感謝しなければなりません。

私たちがしっかりとご法を自分のものにする。悟ると言うと、大きくなってしまう感じもしますが、ご法を自覚できるのは人間だけで、その人間として生まれたのですから、それはできるということです。

先ほどのお説法のように、私たちにはいろいろな悩み苦しみも起こってくるでしょう。けれども、ご法をしっかりとつかんで、自らの苦しみを解決できる、そういう人間になっていくことが大切です。
(1月15日)

毎日の積み重ね

夕方になって一日を振り返ったときに、本当にきょうは良かったと言える一日にしていきたいと思います。

これは、有名なゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。詩人、劇作家)の言葉だそうです。

「星辰(せいしん)の如(ごと)く、急がず息(や)まず」

星辰、夜の星空は、地球が回転しているわけですから、星がゆっくりゆっくり遠ざかったりします。急がず、そしてまた息まず(休まず)、星は少しずつ動いていくように見えるわけです。

そのように、私たちも急がず、休まず、息まず、そういう心で日々精進することが大事だという意味合いだと思います。そんな言葉を常に胸に置いて、一日一日を大事にしていきたいものです。
(1月15日)