立正佼成会 庭野日鑛会長 11月の法話から

児童の頃に基礎を養う

今日は、七五三です。三歳、五歳、七歳、この時期は人間にとって、とても大事な時期であるということで、私が尊敬しています方の「児童憲章」に「児童は人生の曙(あけぼの)である。清く、明るく、健やかなるを尚(とうと)ぶ。」という言葉があります。人生のあけぼのの頃である児童の心に、清く明るく健やかなることを尊ぶ精神は、とても大事であると思います。

また、昔、武士の時代などは、数え年で六歳ぐらいから「素読(そどく)」という習慣があり、論語などを素読することがありました。六歳ぐらいから十三、十四歳までが一番記憶力がある時期で、そういう時に大事な言葉を素読して、その意味が分からなくても覚える。こうしたことをしっかりとしておくと、それが後の人生に大きく影響するということです。

人間の一番記憶力のいい時に覚えさせる、児童の心に大事なことを教えていくと、その意味は後々に分かってくるわけです。そうした日本の歴史、伝統も大事にしていかなければならないのではないか、と思うのです。
(11月15日)

画・茨木 祥之

受け継がれてきた命を愛する

私たちの命は父母を通して、ご先祖さまとつながっています。そのことを二宮尊徳翁(おう)が歌にしています。

「父母(ちちはは)もその父母もわが身なり われを愛せよわれを敬(けい)せよ」

このわが身は父、母から授かったものですけれども、それは、そのまた父、母である祖父母、曾祖父母、ご先祖さま、そうした方々から頂いているものです。私たちの命はご先祖さまのおかげさまで、今あるわけです。

もちろん私たちは父も母も愛し、尊敬してきたわけでありますが、ご先祖さまの血が流れている自分も愛せよ、自分も敬いなさい、慎み深くしなさいということが、この二宮尊徳翁の歌の中に込められています。大変有り難い歌ですから、こうしたことも学んで、しっかりとした心を持ちたいと思います。
(11月15日)

当たり前ではない、この世界

金子みすゞという有名な詩人の方は、「わたしは不思議でたまらない」と、いつも物事を、不思議だ、不思議だと言っておられます。そうした詩をたくさん残された人です。

「黒い雲から降る雨が銀に光っていることが」「たれ(誰)もいじらぬ夕顔が一人でパラリと開くのが」

夕顔が開くのは、何げない日常のことです。それは当たり前と言えば当たり前ですけれども、そうしたことを不思議だと言って、詩をつくられました。

雨の色も、花が開くさまも、そう珍しくはない。私たちは、それは当たり前じゃないか、自然じゃないかと見てしまうわけですが、詩人の心と申しましょうか、そうした真理を感じる人から見れば、そうではなくて、世の中のことは本当に不思議でたまらないと、そういう気がするのだと思います。

「わたしは不思議でたまらない、たれに聞いても笑ってて、あたりまえだということが」

当たり前のことが、実はとても不思議。私たちは、そうした詩人の精神、心を学びながら精進していきたいものです。
(11月15日)