立正佼成会 庭野日鑛会長 5月の法話から

毎日を新鮮な気持ちで

私はよく、漢字の「朝」という字についての話を引用します。「朝」は、よくできた字で、十月十日(とつきとおか)と読めます。10カ月と10日(胎内=たいない=にいる期間)で、だいたい赤ん坊が生まれてくるということです。

赤ちゃんが誕生した、そういう新鮮な気持ちで朝を迎えられたことに感謝をする。毎朝、誕生したばかりの自分になって、新しい自分になって感謝をする。自分の体にも感謝する。また、人さまにいろいろお世話になっていることに感謝する。そうしたことがとても大事であると受け取らせて頂いています。
(5月1日)

画・茨木 祥之

親孝行は先祖への供養

自分自身の意志と力によって、地上に生まれてきた人間は一人もいない。この絶対的な事実とその認識こそが実は最も重大であり、これこそがわれわれ人間の持つ一切の認識の中でも、最高、最新の認識と言ってよいと思います。同時に、われわれ人間は、自ら親を選んでこの世に生まれ出た者は一人もいないということです。

私自身、佼成会の会長のところに生まれてこようと、そんな気持ちは全然なかったと申し上げていますが、生まれてきてしまいました(笑)。

これは誰もが、自分の親を選んでは生まれてこられない、ということです。人間には、親を選んでこの世に生まれ出るという選択の自由は絶対にないということです。このことに、われわれ人間のいのちのスタートがあります。

私たち人間は父と母があって生まれてきました。その両親もまた、それぞれの父と母があって生まれてきました。仮に一世代を30年として750年ぐらい遡(さかのぼ)りますと、私たちの先祖の数はなんと、3355万4432人という膨大な数になると言われています。すごい数の先祖を私たちは持っているのです。

実に無量無数の先祖たちが、それぞれのいのちを伝えに伝えてきた結果、ここに私たちのいのちがあるのです。言い換えれば、私のいのちの中には、無限のご先祖のいのちがこもっているわけであります。

ですから、私たちを生んでくれた直接の親は、実は幾十代もの先祖の無量無数のいのちの、いわば最先端の代表者であったわけです。私たちが、自分を生んでくれた親のために尽くすことは、根本的には、そうした無限のご先祖さまに対してつとめることになります。親孝行を通して、親だけでなく、ご先祖さまにも孝行ができるということです。
(5月15日)