立正佼成会 庭野日鑛会長 3月の法話から

合掌礼拝を身につけよう

開祖さまは、常に人さまにお会いすると合掌礼拝(らいはい)されていました。
日蓮ご聖人に、こういう言葉がございます。

「仏法と申すは是(これ)にて候(そうろう)ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品(ふきょうぼん)にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐(ほんがい)は人の振舞(ふるまい)にて候(そうらい)けるぞ」

仏教の肝心は法華経である。法華経の修行を説いたのは、「不軽品」(常不軽菩薩品)である。(常)不軽菩薩が人を敬われたのは、どういう理由であるか、よくよく考えよ。釈尊の本懐は人の道を教えることにあったのである。私たち人間は、人間らしい人間になること、その心がけが必要である。これは私の受け取り方ですけれども、そのような内容のお言葉です。

私たちが日頃、お互いさまに合掌するのは、こうした日蓮ご聖人のみ教えの中にあるということです。開祖さまが人さまとお会いすると、いつもなさっておられた合掌礼拝――私たちも体解して、身につけていきたいと思います。
(3月5日)

画・茨木 祥之

教えを後世の人々に

ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。ドイツの詩人、劇作家)の言葉に、「星辰(せいしん)の如(ごと)く、急がず息(や)まず」という言葉があります。夜の星、空を眺めていますと、星は本当に動いているのかどうか分からないぐらいのスピードです。また、太陽も朝、東の空に現れて、そして中天に移り、西の空に降りていきます。(その動きは)目には見えないほどゆっくりですけれども、徐々に徐々に動いているわけです。そうした意味の、「星辰の如く、急がず息まず」という心が、とても大事だと思います。

これから100年、あるいはもっともっと後世の方々にも、このみ教えをずっとお伝えできるように、私たちはお互いさまに、急がず息まず、精進させて頂きたいという思いでいっぱいです。
(3月5日)

教えを実践していこう

お釈迦さまの教えで一番の基本は、「四諦(したい)の法門」です。私たち人間は執着(しゅうじゃく)を持っており、執着がいろいろな悩み、苦しみにつながっている。その執着をなくすようにとの教えです。そして、困っている方々をお導きする、また、人のために尽くすことを通して、執着から離れられる、と教えられています。

苦の本質は執着である、とあきらかにする「苦諦(くたい)」。執着を捨て、楽になると「滅諦(めったい)」となります。そこに至るため、目の前に生じた悩み苦しみについて実践しながら解決する「道諦(どうたい)」。私たちは、「即是道場(そくぜどうじょう)」を大切にしていますし、また在家仏教ですから、そうした実践を日頃の家庭、あるいは職場で行っていくことが大事です。

その実践を通して、自らの苦が解決されると、今度は苦しんでいる人たちに、何とか苦を取り去って頂きたいと、み教えをお伝えする。そのことを通して、われ人共に救われていくわけです。
(3月15日)

苦痛を感じる時こそ

私は腰が痛くて、歩きにくいと申しましょうか、そんな状態であります。以前に読んだ雑誌の中に、こんな詩を見つけました。細川宏(元東京大学医学部教授)という人の『しなう心』という詩であります。
 
苦痛のはげしい時こそ
しなやかな心を失うまい
やわらかにしなう心である
ふりつむ雪の重さを静かに受けとり
軟らかく身を撓(たわ)めつつ
春を待つ細い竹のしなやかさを思い浮かべて
じっと苦しみに耐えてみよう

「撓める」とは、柔らかいものが押されて曲がることです。今、たまたま腰が痛いものですから、苦痛とか、耐えようという言葉があって、何となくいいなあと思って書き留めておきました。

もう春になり、暖かくなってきましたから、冬の寒い時に比べたら、だいぶ(腰の)痛さも和らいできました。こうした詩を読みながら、自らの苦痛とか、あるいはまた精神的なもの、そうしたことも振り返りながら、今、生かして頂いているところであります。
(3月15日)