立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

「元気」に込められた願い

私たちがなぜ信仰をするのか、信心をするのかを考えてみますと、それは、本当の人間になるためであり、さらに徹底して言うならば、本当の自分になるためです。そのために、くり返しくり返し復習していかなければならない、ということです。私たちは学んでも、それを身につけることがなかなかできません。しかし、くり返しくり返し学び、それを実践する。そういう気持ちで日頃から精進をさせて頂くうちに、だんだんと身についてくるのだと思います。

そもそも、人間が心を開いたということは、大自然が人間を通して心を開いたわけであります。大自然の働きとして、38億年も前に地球上に生命が誕生し、だんだんと生命が進化し、(長い生物的、動物的生活の果てに)やっと人間らしくなってからでも50万年が経っているといわれます。そして、ようやくここ4、5千年で人間の文明が開きました。ですから、私たち人間が心を持つということは、大自然が人間を通して心を持つようになったということです。ですから、人間が信仰をするとか、学ぶということは、大自然が人間を通して学んでいることにもなります。人間が心を持つということは、宇宙の中の不思議の一つではないかと思います。

そのような観点から、私たちは人間として、どういう心を持っていくことが大事かを常に考えていかなければなりません。「令和五年の方針」として、元気で生き生きと生きていこう、精進をしていこうと発表しています。

元気の「元」という字は、下の二本(ひとあし・にんにょう)は人間の足であり、「二」は、昔の「上」という字であったそうです。ですから、天が人間として現れて、人間が歩いていくことが、元気の「元」という字になっているともいわれています。私たちが人間として歩いていく中で、いろいろな想像力を働かせて、新しいことをどんどん創り上げていく、創造していく――元気には、ただ生命としての元気だけでなくて、そういう意味もあるようです。人間としての心も、また体力も生命力もみんな込めて、常に新しいものを創造していくことが人間の大事な役割であります。
(12月15日)

画・茨木 祥之

毎日の習慣づけによって

人間の大切なこととして、「正直とか親切とか友情とか、そのような普通の道徳を堅固(けんご)に守る人こそ真の偉大なる人間といえるのである」という箴言(しんげん)をアナトール・フランス(フランスの詩人・小説家・批評家)という方が述べられています。こうしたことは、そう目立つことではありませんけれども、人間として一番大事なことがここに述べられているように思います。

そうしたしっかりとした人間になるために、私たちは日頃、信仰、信心をし、いろいろなことを学んでいるのだと思います。それはまた、「人生は習慣の織物である」(アンリ・フレデリック・アミエル。19世紀、スイスの哲学者、詩人)ということです。私たちは、そうした人間としての本当の心をわがものにするべく、毎日毎日、習慣づけて、それを実践できる人間になっていくことが大切です。
(12月15日)

きょう一日を充実させよう

人間は、この世に現れてから今日(こんにち)の文明を開き、創造、変化してきたわけですが、その人間が考えた文明世界が、今度は人間を滅ぼそうとしています。あまりにも自然から離れすぎてしまって、人間が生きていけるかどうかが、今心配になっています。そうしたことも、私たちが、しっかりと人間としての心を働かせて、人間がこれからまた元気に生きていけるよう環境を整えていくことも、人間としての役割であると思います。

人生を充実して生きるといっても、結局、突き詰めると、この「きょう」という一日をいかに充実して生きていくか、という努力のほかにはないわけです。どうしたら、これから人類が地球上に生き続けていくことができるか。どうしたら、皆が元気で健康で生きていけるか。充実した人生というのは、きょう一日、そうしたことを常に考えながら、自分がすべきことをしっかりとしていくことに尽きるのです。

「一日は人生の縮図なり」といわれています。毎日毎日、お互いさまに精進をさせて頂かなければならない。つくづくそう思うのです。
(12月15日)