立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から
個性をたたえよう
世の中をよくしていくために、一番大事なことは「幼少年の教育」であり、政治、経済もそのためにあると教えられています。
日本の教育の原点は、寺子屋にあるといわれています。そこでは、人間が出来上がっていく基本が教えられました。寺の境内や神社で遊んでいる子供たちを対象に、「読み書きそろばん」という人間の一番基本的なことが教えられたのです。
寺子屋のあった江戸時代は、文字を理解できる人の割合「識字率」が約70パーセントだったそうです。当時、日本の識字率が世界で一番で高かったようで、寺子屋で子供たちを教育したことが大きな役割を果たしていたようです。
寺子屋の一種である幕末の松下村塾(しょうかそんじゅく)で、吉田松陰先生がされた教育は大変素晴らしいものであったといわれています。
今、学校では、テストの点数で子供たちの優劣をつけます。点数のいい人がいい学校に入って、そしていい職場に入ってというように、人と比べて点数が抜きんでた者が素晴らしいのだという教育のあり方になっています。
松陰先生は教育をしながら、その人その人の特色をつかんで、「あなたはここがとても優れているから、こういう方面で生きていきなさい」といった指導をされました。例えば、字がきれいに書ける人には「あなたは書が優れているから、書を教えて身を立てなさい」、剣術に優れている人には「剣が優れているから、剣の道を歩みなさい。剣道の道場をつくって、道場主になって剣道を教えなさい」というように、その人のよいところを探して、それを生かしなさいと言われたのだそうです。決して他の人と比べるのではなくて、その人のよいところを発揮しなさいという指導です。
その松下村塾から、偉大な人たちが輩出されました。やはり将来を担う幼少年がどのように人間として教育されるかが一番大切な点です。私たちも松陰先生の教育のあり方をしっかり学んでいかなければなりません。
(4月8日)
悲しむ心がもとになって
今、ロシアによってウクライナが攻められています。悲しい話が次々と明らかになっています。
「悲しむ」ことは、人間の情緒の最も尊い働きの一つです。人間が他人のことを悲しめるようになるには、よほど精神が発達していなければなりません。人が自分の親、きょうだい、子供ばかりでなく、友人のこと、世の中のこと、国のことを悲しむようになって、はじめて文明人であり、文明国であるといわれます。
悲しむ心こそ、世界を平和にしていくもとになります。人間は、いのちが無視され、犠牲にされることに悲しい思いを抱きます。ウクライナで起きていることも、そうです。
相手を愛すれば愛するほど、悲しいという感情も強くなります。ですから、日本では昔、「愛」という字を「愛(かな)し」と読みました。愛することや悲しむことがなくては、仏教の教えもありませんでした。悲しむ心があったからこそ、尊い教えも、また釈尊や聖人が現れたのです。
私たちは、そういうことをしっかりと心にとどめて、精進していかなければなりません。人が痛められている、殺(あや)められていることを悲しむという心がいかに大事かということです。
(4月8日)
大人はわが身を振り返って
本来、人の心に「怒(いか)り」の感情はないのだと、ある本を通して学びました。穏やかな心を“起こらせる”ことが「怒(おこ)る」「腹が立つ」ということです。元々、人の心は平静で、腹が立つようにできていないのだそうです。
人は赤ちゃんとして生まれてきた時には、三つの感情しか持っていないと記されていました。その一つ目は、すやすや寝ている時の「安らぐ」という感情です。そして二つ目は、お腹(なか)が空(す)いておっぱいが欲しい、おしめが濡(ぬ)れているなどの要求を訴える時の「泣く」という感情。さらに、赤ちゃんは目が合うとニコッと笑います。なぜ、本能的に組み込まれているのかは分からないということですが、「笑う」というのが三つ目の感情です。
怒(いか)る、怒(おこ)るという感情は本来、人間にはなく、人はその感情を持って生まれてきてはいないのに、ではなぜ、人は怒(おこ)るのか――。おそらくは、親や社会から後天的に刷り込まれたのではないかといわれています。
大人が怒った時に、立場の弱い子供は譲歩して口答えをしなくなります。その代わりに、自分も方法論として、「怒る」ことを真似(まね)るようになっていきます。子供は大人の真似をする、つまり学ぶのです。
穏やかな人間の心が、なぜ怒(いか)るのか、怒(おこ)るのかということについて、私たちは日頃、あまり考えないでいます。コロナ禍によって、いろいろなことができない時に、そういうことを見つめてみることは大切です。家族、親子、夫婦の間で、ついつい怒りっぽくなってしまう、そうした時に、静かに見つめることが、とても大事です。
(4月15日)