立正佼成会 庭野日鑛会長 1月の法話から

1月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

身心をリフレッシュ

皆さま、明けましておめでとうございます。

令和4年が、ここに明けました。今年も、コロナ禍の自粛生活を余儀なくされることと思いますが、お互いさまに仏さまに生かされている者同士、日々を生き生きと生きていきたいものです。

私たちの体そのものは、私たちが意識する、しないにかかわらず、常に新陳代謝を繰り返して、日々新たになっています。体の新陳代謝と同様に、心も常に日々新たにしていくことが生きがいにつながります。

体は新陳代謝をしていますから、例えばケガをしても、そのケガは治っていきます。そのように私たちの心も、いろいろな物事が起こって多少とらわれることがあっても、やはり健全な心に戻ることが大事です。そういうことを繰り返して、日々を生き生きと生きていくということです。

コロナ禍の中での自粛生活で、身心共に元気をなくしてしまっている方が多いと思いますが、いのちそのものは、新陳代謝を繰り返す体を持っています。私たちはそのことを忘れずに、今年も仏さまのみ教えに基づいて根本をしっかりと押さえつつ、常に前向きに、そしてお互いさまに元気で過ごしていきたいと願っています。
(1月1日)

新年に希望をもたらす「数え年」

昔、日本人は「数え年」を使っていました。数え年ですと、新たな年を迎える時に年を重ねるので、お正月にはみんなが一つ年を取るわけです。これは素晴らしいことであると思います。

宇宙のことを研究している佐治晴夫先生が、こうおっしゃっています。

「今では、すべてが満年齢。しかし、よく考えてみると、満年齢というのは、今まで実質的に生きてきた経過年齢のことであり、生物学的な意味はあっても、未来への夢がまったく感じられません。一方、『数え年』は、お正月を境にして、日本全国の人が一斉に年を重ねるわけですから、すべての人たちが、一緒になって、豊かな未来に向かって新たな気分で船出しようという気持ちが表れています。

未来に希望がもてなくなっている人がたくさんいるという現代、一度、『数え年』にしてみたらいかがでしょう」

数え年は、母親の胎内にいる「十月十日(とつきとおか)」といわれます10カ月が入りますから、12月31日に生まれた人も、そこで1年ぐらい経って生まれたとされ、お正月を迎えると2歳だという数え方です。お正月でみんなが一斉に年を一つ重ねるということで、「新年を迎えてめでたい」という気持ちが日本中に湧き上がると思うのです。
(1月7日)

自然のままに、和やかに

今年の書き初めは、『素心(そしん)』と『和言(わげん)』です。

この「素心」の「素」には、「白い」「白い生地」という意味があります。人工を施さない、自然のままの、生まれつきの性質という意味合いが、この字に表れています。地位とか名誉とか年齢とか、さまざまな世間的な着色に染まらない、自然のまま、人間そのものの純真な心、それを「素心」と言うのです。そういう心で、今年は、いろいろなものを見たり、聞いたり、学んだりしていきたいと思い、まず「素心」を書かせて頂きました。

もう一つは「和言」。これは、「和(なご)やかにものを言う」ということです。私たちは、特に家庭で、家族と話をする時に、なかなか穏やかに、のどかに、和やかに話せずに、けんか腰になって言ってしまうことが往々にしてあります。家庭の中でこそ、みんなが和やかにものを言うような家庭が大切かと思い、「素心」と「和言」という二つの言葉を書き初めにしました。

そういう意味で、「心」というものを大切にして、「心とはなんぞや」ということを、今年は真剣にまた学んでいきたいと思っています。
(1月7日)

誰もが仏になれる

私たちが「仏になる」とは、どういうことでしょう。これは、人間が本質的に違った他のものになるというのではなく、また、外部から何らか質の変わったものがわれわれの心の中に取り入れられるといったことでもありません。実に、心の内部に潜む「仏性」を自覚することが、仏教の信心、信仰ではとても大切になります。

このことを自覚する契機として、信仰が挙げられます。私たちの心の内部に潜む仏性を自覚する、その契機として信仰があるということです。

信仰は、昔は「信心」といわれていました。私たちの心の中の仏性を信ずることでありますから、心の中の仏を確認し、この仏を自分自身に実現することを願うのが信仰であります。つまり、信仰が確立するとは、同時に仏を自分自身の中に実現することです。
(1月7日)

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