立正佼成会 庭野日鑛会長 4月の法話から

人間は宗教を持つ特殊な生き物

人間が人間たる所以(ゆえん)は、「自己認識する動物」であることだといわれています。それは、「人間(自分)とはいかなるものなのか」を問うことができ、しかも、「自分が必ず死ぬことを自覚している唯一の動物」だということです。確かに、私たちはそうした動物として生まれてきており、また、仏教という宗教の中で、「生老病死」について教えられていますから、自分が死ぬことを自覚している唯一の動物であるというのは納得ができます。

人間は、心を持ち、いろいろなことを認識する動物です。死を知る、死を発見する、そして、それを自覚する――そこに宗教が現れるとも教えられています。

人間は、地球上にすむ動物の中で、宗教を持つ特殊な生き物です。不思議な、他にはない存在として、いのちを与えられています。そして私たちは今、仏教という宗教に帰依して、日頃、精進をさせて頂いています。

人間とは、考えれば考えるほど不思議な、神秘な存在です。基本的なこととして、死を自覚できるということですが、いろいろなことを学んでも、分からないことがいっぱいあり、常に学んでいかなければなりません。そういう不完全さを持ちながら、本当に大事なものは何かをいつも追究し、前進する。私たちは今、そのような人間として生かされており、このことはとても大事であると思います。

そして、お釈迦さまが悟りを開かれ、真理を分かりやすく説いてくださっています。その真理のおかげさまで、私たちは生老病死を乗り越えていく人生を頂いているのです。

仏さまの真理を頂き、それをそのまま知的に認識することも大事ではありますが、道元禅師は、仏さまの教えを自分の身に体(たい)するためには修行をしなければならないと言われました。それを「修証一如(しゅしょういちにょ)」という言葉で表されています。「修」は行ずること、「証」は悟ることで、つまり、「修行をして初めて悟ることができる」「行ずることが悟ること」「悟ることによって、修行が生きてくる」というように、その両方が一つだという意味です。行ずる中で悟りを得て、修行をしていかなければ、本当の悟りを頂けないと、道元禅師は教えられているのです。

『法華経』には、菩薩として自分が悟ることについて、人さまを導いて、その人が悟るきっかけをつくって共に修行する中で本当の悟りが得られる、救いが頂けると教えています。私たちは今、『法華経』を所依の経典として、菩薩道を共々に歩ませて頂いています。共に救われていく道を、仏さまが教えてくださっている――本当に有り難い人生を歩ませて頂いているのです。
(4月15日)

画・茨木 祥之

いつまでも未完成、だからこそ

菩提樹の下で悟りを開かれた時、仏さまは「人生は毎日毎日、学ぶべきものだ」と悟られた、とおっしゃる方もいます。私たちも毎日毎日、悟っていくことが大事であり、そういう人生を歩む秘訣は、誠の生活をすること、真理に順(したが)って生きることです。

真に安楽な人生を過ごしていく秘訣は、悪いものを食べない、くだらないことを考えないといったことです。言ってみれば簡単なことですが、その簡単なことがなかなかできない、できにくいというのが、私たち一人ひとりの実相だと思います。そうしたことを踏まえて、毎日毎日、精進するのであり、そして精進には、「これでもう完成した」ということはないのです。

宮沢賢治は「永久の未完成これ完成である」(農民芸術概論綱要)という言葉を残しました。私たちはいつも、「まだまだ未完成である」ということを心得て、精進させて頂くことが大事です。

こうしてご命日のたびに、教会長さん方、あるいは他のお役を頂いている方の体験説法を伺いながら、いろいろなことを思い知らされます。学ぶことがとても多く、まだまだ足りないと気づかせて頂けるのです。
(4月15日)