立正佼成会 庭野日鑛会長 9、10月の法話から

常不軽菩薩を目標に

人間一人ひとりの特性を最もよく表すのは、愚か者に対して取る態度であるといわれます。人は愚かな者を見て、つい見下してしまうことがあります。

しかし、常不軽菩薩は、人さえ見れば合掌・礼拝(らいはい)されました。それは、愚かであろうと、偉大な人であろうと、どういう人であろうと合掌するということです。ですから、愚かな者に対して、見下すような態度を取る人は、それこそ愚か者であるということになります。お互いに合掌し合うという精神が、最も大切なのです。

また、自らを尊重しない人は、他人を尊重できない、尊重しないといわれています。自らも尊い仏性を頂いていますし、愚か者と見える人も、やはり仏性を持っています。人さまのためになりたいという心は、誰でも持っているのです。その意味で、自らを尊重しない人は、何人(なんぴと)をも尊重しないと言えます。

私たちは、法華経に説かれる常不軽菩薩の合掌・礼拝行を忘れずに、日々の社会生活を全うしていきたいものです。
(9月15日)

幸せになる秘訣

自分の力で生きている人は、誰もいないと思います。大きく言えば、太陽がなければ生きていけません。水や空気が絶たれたら、すぐに命の危険にさらされてしまいます。そうした大切なものを、日ごろ、ほとんどただ同然で使わせて頂いていると、つい感謝の念が薄れてしまいます。

昔の人たちは、お天道さまのおかげさまで生かされているということで、朝は早く起きて、柏手を打って、お参りをしていました。

それは太陽を拝むことですが、現代人は、そうしたことを忘れてしまっているといわれています。昔のような、お天道さまのおかげさまという心を取り戻すことが、人間が真の幸福をつかむために必要であることが分かってきています。

いろいろと科学的な進歩があって、あまりに便利な世の中にいると、かえって大事なものを見失ってしまうことが多くなります。その意味では、朝早く起きて、お日さまを拝むことで、生かされていることが、よく分かってくるのであります。
(10月1日)

画・茨木 祥之

学び続けることで

「少(わか)くして学べば壮にして為(な)すあり。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず」。これは、佐藤一斎先生の言葉です。

昔、特に武士などは満5歳の頃から、論語などの素読を始めたといわれます。少年の頃からしっかり勉強すると、「少くして学べば壮にして為すあり」ですから、壮年になって、それが働きとして表れてくるというのです。

また「壮にして学べば老いて衰えず」とは、ずっと学び、頭を使っていると、耄碌(もうろく)しないということです。

さらに、壮にして学ぶ人は、老いてもいろいろなことに興味を持って学びます。佐藤一斎先生もそうで、「言志四録(げんししろく)」という有名な語録も遺(のこ)されていますから、「老いて学べば死して朽ちず」――死んでも、その人の遺したものは、朽ちないと言うことができます。

こうした言葉の中から、昔、人生を一所懸命生きた人たちが、どのように一生学び続けたかをうかがうことができます。私たちは、そうした方々に学んで、人生を過ごしていくことが大切です。
(10月1日)

朝は貴重な時間

開祖さまは朝早く起きられて、当時、ラジオで「人生読本」という番組がありましたので、それを毎朝聞かれるのが習慣でした。また開祖さまは、早い時間に起きられ、こまめに日記をつけられていました。

人は眠って、起きると、前日、いろいろなことがあっても、余計なことは忘れてしまうといわれます。そういう状態ですから、例えば、朝に読書をすると、重要なところがスッと入ってくるのだそうです。

ですから、朝の時間をいろいろ忙しく過ごすのではなく、やはり静かに、心、精神的なものを高めていく時間にすることがとても大事になります。私も、日々心がけていますが、静かな中で、また目覚めてさっぱりとした中で、愛読書等を読ませて頂くことは大事なことだと、つくづく感じています。
(10月4日)