立正佼成会 庭野日鑛会長 11月、12月の法話から

昨年11月、12月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

目の前のことをきちんと

経典には、『愚癡(ぐち)多き者には智慧(ちえ)の心を起(おこ)さしめ』とありますが、私たちは、つい愚痴や不平、不満、人の悪口、文句といったことを言ってしまいます。せっかく尊いご法に巡り合った者同士なのですから、日頃の生活の中で愚痴を言わないことが、とても大事なことです。それを神仏から問われており、お互いさまに愚痴を言わない人間になっていきたいと思います。

いま置かれている状況に文句を言わないで黙々とやっていける人は、神仏のご守護を頂けるとのことです。さらに、自分の仕事、あるいは自分のお役などを、丁寧にきちんとやっていくことが、神仏のご守護を頂けるもとになっていくといわれています。そうしたことにも、しっかりと気をつけてまいりたいと思います。

そして、人生の中で最大、最高に重要なことは、いつも、「いま目の前にあること」であります。このことを丁寧にきちんとできないのは、その人の一生がきちんと丁寧にできないことにつながります。いま目の前にあることを、一つ一つきちんと丁寧にやっていく――それが積もり積もって、その人の人生になるのです。

画・茨木 祥之

すべては仏の説法

仏さまは、『常に此(ここ)に住して法を説く』と説かれています。そして、私たちが日頃体験することは、すべて仏さまの説法であると教えて頂いています。

曹洞宗の開祖である道元禅師の歌に次のようなものがあります。

峰(みね)の色 渓(たに)のひびきも 皆(みな)ながら わが釈迦牟尼の 声とすがたと

いま、秋から冬に季節が移行しようとしています。峰の色、谷川の音は、皆、お釈迦さまの声と姿であり、説法であるという意味合いであります。

道元禅師が、季節の変化、秋の紅葉などは、すべてお釈迦さまのお説法であると受け取られたように、私たちも、日頃の一つ一つの体験、出来事を仏さまの説法と受け取らせて頂きたいものです。

悟りに至る「真因」は自分

私たちのいのちは、父と母から頂いたわけで、自分は父を「因」とし、母を「縁」として生まれてきたととらえるのが普通でありましょう。しかし、もっと深く考えてみると、自分自身が真の「因」であって、父母を「縁」としてこの世に生まれてきたと見ることができます――。

ある時、私はそうした教えに出遇(であ)い、本当にそうだと思いました。立正佼成会の開祖の息子であるから、仏教の縁に触れたのだと思っておりましたが、私を含めた一人ひとりが本当の「因」――「真因」なのであります。

「真因」を辞書で調べますと、仏教では悟りに到達すべき真実の原因は自分である、とあります。悟りに到達すべき「真因」は私たち自身なのであり、親から頂いたから、あるいは開祖さまから、脇祖さまから頂いたから、私たちは仏道を歩んでいるというのではありません。自分が「因」であり、そうしたご縁を頂いた中で仏道を歩んでいる、と受け取るのが大事です。

仏教では、「一切衆生悉有(しつう)仏性」として、宇宙全体が仏性そのものだと教えています。その意味では、私たちは、自ら仏道を歩もうと、そうした気持ちで生まれてきたのであり、ご法に照らして、人生をいかに生きていくかが大切です。

もちろん、親からの「縁」、導きの親からの「縁」といったものがなければ、私たちはご法につかまることはできなかったと思います。しかし、元々は各人が「因」であることを自覚していくことが大事であると受け取らせて頂いています。

日常の行為が仏道

至道無難(しどうぶなん)禅師の言葉に、「道という 言葉に迷うことなかれ 朝夕おのが なすわざと知れ」というものがあります。「道という言葉に迷ってはならない」「朝夕に実行していることが、そのまま仏道である」と言われるのです。

私たちは、日常何げなく行っていることを意識しません。日頃はどうでもよく、こうして大聖堂に集ったときにしっかりしようと思いがちです。

しかし、仏道を歩むとは、仏性そのものになっていくことであり、心を仏に合わせて修行させて頂くことです。さらに、自分ばかりでなく、あらゆる人が仏性である――そのことに気づかせて頂くための仏道修行であると思います。

調和は礼に始まる

人間同士で一番大切なこととは、どういうことでしょう。

「人と人との間」――それが「人間」であると言われており、人間は、社会的な中で生活をしています。ですから、「人と人との間」ということが、非常に大事なわけです。

私たちは、自分の方が能力があると考えると、人を見下げてしまいがちです。しかし、人間と人間の間で一番大事なことは、人を敬うことです。

その意味で私たちは、日頃人と会えば、必ずあいさつをします。朝であれば「おはようございます」、昼間であれば「こんにちは」と。それは結局、お互いを敬うということです。礼をするとは敬うこと、相手を尊敬する、尊重すること――それがあって初めて「人と人との間」が調和していくのです。