切り絵歳時記 ~柳田國男『先祖の話』から~ 1月 文/切り絵 ルポライター・切り絵画家 高橋繁行

人は死ねば子孫の供養や祀(まつ)りをうけて祖霊へと昇華し、山々から家の繁栄を見守り、盆や正月に交流する――柳田國男は膨大な民俗伝承の研究をもとに日本人の霊魂観や死生観を見いだした。戦時下で書かれた柳田國男の名著『先祖の話』をひもときながら、切り絵を使って日本古来の歳時記を絵解きしたい。

 

お年玉の始まり

『先祖の話』では、正月と盆を「我が邦(くに)民間年中行事の最も大きいもの」「めでたい日」としている。もともと正月と盆は、ご先祖を〝みたま〟と称して祀る、うれしい祝い事の日であったと言う。

正月に訪れる神様で代表的なのは「年の神様」である。年の神様は、その年の福徳をつかさどる来訪神のことで、「歳徳神(としとくじん)」、または「お正月さま」とも呼ばれる。
歳徳神は、奈良・平安時代に活躍した陰陽師(おんみょうじ)に影響を受け生まれたと言われる。恵方という、毎年違った方角から来訪する神様だ。その年の最も縁起の良いとされる恵方の方角を向いて恵方巻(太巻き寿司)を食べる習わしも知られている。この神は、一月十五日(小正月)のとんど焼きの日、煙に乗ってあの世に還(かえ)って行く。どんな姿をしているのだろうか。面白いのは、『先祖の話』で七福神になぞらえているところだ。

【お年玉の始まり】

同書によると、「弁才天女」のような美しい女神に描かれることが多いと言う。「大黒さま」か「恵比須さま」を年の神様とすることもある。頭の長い老人である「福禄寿(ふくろくじゅ)」を歳徳神とする例もある。柳田國男は、この老翁の姿をした年の神様を、われわれのご先祖の姿なのでないかと想像している。

極めつけに面白いのは、歳徳神にまつわる言い伝えだ。九州のずっと南の方では、除夜の年越しの晩に「年どん」という老翁の姿をした歳徳神がやってきて、「好(よ)い子供には年玉(年霊)の餅を持って来てくれる。それを貰(もら)わぬと年を一つ重ねることが出来ぬ」と語られてきたそうだ。まるでサンタクロースのような伝承である。

実際に、年どん役の老人が竹籠(たけかご)や面をかぶって子どもに餅を持ってくる習わしが、どこかの集落にあったと言う。ならば年どんでなく、竹籠をかぶった福禄寿が、他の七福神と共に年越しの晩にやってくる話があっても不思議でない。

この話は、お年玉の風習の始まりだろうか。

プロフィル

たかはし・しげゆき 1954年、京都府生まれ。ルポライター・切り絵画家。『土葬の村』(講談社現代新書)、『お葬式の言葉と風習 柳田國男「葬送習俗語彙」の絵解き事典』(創元社)など、死と弔い関連の著書を手がける。高橋葬祭研究所主宰。