「バチカンから見た世界」(167) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

ローマ教皇レオ14世はなぜ世界平和を福音宣教の中心に置くのか

宗教の本質的な役割は「人の救い」にある。「救済論」(soteriology)を持たない、あるいは、忘れた宗教は、ただ単なる「イデオロギー」となっていく。現代史において、宗教が国家や民族のイデオロギーとなり、戦争や紛争を誘発した例は多くある。宗教そのものがイデオロギー化し、原理主義、狂信主義、暴力に走ったケースも多い。「地上の地獄」と呼ばれるウクライナやガザでの戦争にも、国家・民族イデオロギーとなった宗教が深く結びついている。「人間の救い」へ向けて、「世界平和」が、その最低条件として浮かび上がってきている。人類が、世界平和への努力なくしては、人間と環境の救いについては語れないという、極限的な状況に直面しているのだ。

就任間もないローマ教皇レオ14世に率いられるバチカンが、すでに、この宗教の本質である人類の一大命題に挑戦し始めている。教皇フランシスコの葬儀を直前に、その棺の前で会談した米国のトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領。教皇レオ14世の就任式典後には、ゼレンスキー大統領と米国のバンス副大統領が教皇と懇談した。こうした国際外交の経緯を得て、ウクライナ戦争に関する「バチカン調停説」が浮かび上がってきた。

バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は5月16日、「イスタンブール(トルコ)での和平折衝の失敗は悲劇的で、また(ウクライナ和平が)振り出しに戻った」と批判していたが、バチカンの調停に関しては「調停というよりは、双方による直接対話の場を提供するのみ」と説明していた。だが、ロシア側の反応は、バチカンでの直接折衝が「非現実的」(ラブロフ外相)というものだった。「正教国である両国が、カトリック教会で戦争の根本的原因の削除について話し合うことは、エレガントではない」とも付加した。「戦争の根本的原因とは、ウクライナによるロシア正教会の破壊」であり、「こうした状況下では、バチカンにとっても、正教国家である双方の使節団を受け入れることは難しいだろう」との判断をも下した。

教皇レオ14世は5月22日、120カ国を超える国々からバチカンに参集したローマ教皇庁宣教事業部(POM)総会のメンバーに向かい、「第2バチカン公会議によって映し出され、現代世界でより緊急となっているカトリック教会の本質的刷新」について述べた。「戦争、暴力と不正義によって傷つけられている現代世界」が、「神の愛を伝える福音(聖書)のメッセージを聞き、キリストの恵みの和解に対する権能を体験したいと願っている」からだ。従って、カトリック教会は、「宣教する教会となり、両腕を世界に向けて拡(ひろ)げることによって」「(神の)言葉を伝え、人類にとり調和の酵母となっていかなければならない」のだ。「私たちは、(地球上の)全ての民のみならず、全ての被造物に向けて、福音の約束である真で恒常的な平和を伝えなければならない」ともアピールした。ロシアのプーチン政権、イスラエルのネタニヤフ政権が何を言っても、バチカンは「われわれの小教区(個別教会)、司教区、国家の壁を超え、(世界の)各々の国家、民と共に、キリストを知ることのかけがえのない豊かさを分かち合っていく。そのようなカトリック教会を主張する」のだ。

教皇レオ14世は、5月16日にはバチカン付外交団の代表者たちと会い、「カトリック教会の宣教活動とバチカンの外交活動を支える3本の柱」について説明した。「北米、南米、欧州で展開された私の生活が、違った文化と出会うために、地平を超えることを希求している」と指摘する教皇は、バチカンの宣教、外交活動の「主柱」として、「平和」を挙げた。キリスト教のみならず、他宗教の体験もそうだが、「平和は先ず(神からの)贈り物である」「(平和は)キリストの(人間と被造物全体に対する)最初の贈り物」だと定める教皇は、その平和が「自尊心と復讐(ふくしゅう)心を除去し」「武器だけではなく言葉によっても他者を傷つけ、殺すこともできる。よって、使う言葉に注意しながら、(平和は)心の中で、心を中心に築かれていく」と主張した。「この視点から、諸宗教と諸宗教対話が、平和環境の促進のために果たす貢献には、本質的なものがある」と指摘。そのためには、「宗教体験が人間人格の本質的な側面であるだけに、各国における完全なる信教の自由の遵守(じゅんしゅ)が必要」であり、「信教の自由なくして、平和的な関係を構築するために必要である心の浄化は(不可能ではないとしても)非常に難しい」とも言う。

こうした展望に立ち、国際共同体内で発生し得る諸緊張を解決していくために望まれ、考えられた多国間折衝と国際機関(国連)を再活性化させていく必要性を訴えるレオ14世は、「死と破壊の道具の生産をストップせよ」と訴えた。人類を戦争という地獄から救っていくためには、政治指導者の心を浄化し、信頼を基盤とする多国間折衝によって解決していく以外の道は無いと、バチカン主導のカトリック教会は訴え続けていくのだ。

2本目の柱として「正義」を主張する教皇は、「聖座(バチカン)が、人間にふさわしくない労働条件、より分断され対峙(たいじ)する社会へと導く数多くの不均衡、不正義に対し、声を上げないではいられない」と言う。世界レベルで進展していく不平等に対しても、同じである。政治指導者たちに対しては、「小さいながらも、真で、市民社会の構成に先んじる家庭」に投資し、「個人の尊厳性を尊重」するために、特に「その国の国民、移民者であるかを問わず、より弱く、無防備な人、胎児から老人、病人から失業者にいたるまで、擁護の手を差し伸べていくように」ともアピールした。

そして、レオ14世がバチカンの福音宣教と外交の3本目の柱として説くのは「真理」だ。ウクライナやガザでの戦争を直接に指摘しないながらも、和平折衝で使われる言語の「曖昧さや二重基準」を糾弾する。「さまざまに解釈され、二重基準によって使われる言語や、現実の認知を歪曲(わいきょく)して伝えるデジタル世界が、コントロールなくして優勢を占めるような状況にあっては、客観的、現実的なコミュニケーションが減少していくため、純なる人間関係の構築が急務となる」のだ。「真理は、愛徳(慈しみ)から切り離されてはならない」とも戒めている。