バチカンから見た世界(127) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
国際法に違反する行為が核兵器の脅威を助長する――教皇
ローマ教皇フランシスコは10月2日、バチカン広場で執り行われた日曜恒例の正午の祈りにおいて、聖母に対する祈りの前に述べる「法話」の全てを、「重大、壊滅的、脅威の源泉となってしまったウクライナ戦争」のために捧げた。本来は聖母に対する祈りの後に、種々の和平アピールを行うのが通例だが、この日教皇は、聖書からの一節を引用しながら信徒たちの信仰を励ます「法話」そのものを、和平アピールのために割いた。
これは、2013年9月1日以来のこと。即位から間もない教皇はその日、「地上の、あらゆる地から湧き上がる、唯一の大家族である人類の和平への叫びを代弁」し、法話を通して「シリア内戦の平和的解決」を訴えた。また、「断固として、化学兵器の使用を糾弾」し、「出会いと対話の文化が、平和への唯一の道」と主張。同年の9月7日を「シリア、中東、世界における平和祈願と断食の日」として提唱していた。
それから9年後。バチカン広場での正午の祈りの法話で、教皇は「この恐るべき、想像もつかないほどの人類の負う傷痕(ウクライナ戦争)が、治癒するどころか、流血を続け、拡大しつつある」と警鐘を鳴らした。「世界がウクライナの地理を、(一般市民の大量虐殺の地である)ブチャ、イルピン、マリウポリ、ザポリージャや他の地名によって学んでいることは、驚愕(きょうがく)すべきことだ」と指摘し、「人類が再び、核の脅威に晒(さら)されていることに対し、何と言うべきか?」と問いただした。さらに、戦争が解決となることはなく、破壊のみをもたらすと訴える教皇は、「神と、一人ひとりの人間の心に宿る人類意識の名によって、即刻に停戦協定が樹立されるように」とアピールした。
軍事力によって押し付けられるのではなく、合意を基盤とする正義に適(かな)い、永続性ある解決策を模索するためには、「人間生命の聖なる性格」「おのおのの国家の主権と領土の一体性」「少数派民族の権利と願望」の尊重が必要だ。
教皇は法話の中で、「ここ数日間に、国際法の原則をさらに無視して実行され、生まれつつある重大なる状況を非難」。これは、ウクライナの東部と南部の4州でロシア人勢力によって執り行われた、「ロシアへの編入を問う住民投票」のこと。ロシアが4州を自国の領土と認め、自国の領土防衛のためには核兵器の使用をも辞さない意向を表明していることに対する、明らかな非難である。教皇は、「そうした状況(住民投票)が、核の脅威を助長し、世界レベルでの、管理不可能で壊滅的な結果へと導く恐れがある」と指摘した。
加えて、教皇はここで、過去のバチカンの慣習を覆す、もう一つの行為に出た。2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻以来、教皇は公式スピーチの中でロシアやウクライナの大統領を名指しで直接に批判、非難することは避けてきた。背景には、バチカン外交にウクライナ和平へ向けての調停の可能性を残すという思惑があったからだ。両国間において中立の立場を守るという教皇の政策は、一部のカトリック世論から非難の対象となったこともある。「ウクライナへの侵攻を命じたプーチン大統領を、なぜ名指しで非難しないのか?」という批判だ。
一時は、教皇のウクライナ和平に関する種々の公式スピーチを編集し、「プーチン大統領への親書」としてまとめた「偽書簡」なるものが、メディアを通して流されたこともあった。教皇がプーチン大統領に対して送った唯一の書簡は、シリア内戦中の2013年(サンクトペテルブルクでのG20の機会)にさかのぼる。だが、先の10月2日、教皇は直接に「ロシア連邦の大統領」と呼びかけ、「貴国の国民に対する愛のためにも、この暴力と死の渦を止めるように嘆願」すると同時に、「攻撃され、無量の苦しみに晒されているウクライナ国民に思いを馳(は)せ」、「ウクライナ大統領」に対しても、「真剣なる和平提案に対してオープンであるように」と直接アピールした。
また、国際政治や各国の指導者たちに対しては、危険なエスカレーションの道に巻き込まれることを避け、対話のイニシアチブを促進、支持することによって、戦争終焉(しゅうえん)の可能性を模索するようにと訴え、「若き世代に、汚染された戦争の空気ではなく、健全なる平和の空気を吸わせよう」と呼びかけた。