バチカンから見た世界(121) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
さらに、「私たちキリスト教徒は、激突と対峙(たいじ)というこの恐るべき出来事(ウクライナ戦争)の後に、どのような世界を浮かび上がらせようと望んでいるのかを真剣に反省していかなければならない」と呼びかけた。キリスト教徒が、より友愛的な人類を構築していくため、どのような貢献をできるかが、今、問われているからだ。
教皇は7月3日、日曜日恒例であるバチカン広場での正午の祈りの席上、「十字架上の逆説」に関するビジョンをより明確に表した。ウクライナと全世界の和平を祈ることを呼びかけた後、「諸国家と国際諸機関の指導者たちが、好戦的で対峙の傾向を強める国際状況に対処していくように」と願った。さらに、「世界は平和を必要としているが、その平和は、軍事力の均衡、相互の恐怖を基盤とするものであってはならない」「歴史の針を70年前に戻すことであってもならない」と訴えた。
また、ウクライナ侵攻は当初、賢明な国家指導者たちにとって、対話によってよりよい世界の構築を示すための挑戦であったが、その実現には、「政治、経済、軍事力に頼る戦略から、世界レベルでの和平プロジェクトに移行していくことが必要だった」と指摘した。「戦争し合う勢力によって分断された世界ではなく、相互に尊重する諸国民と諸文明によって一致された世界」が必要なのだ。
これに先立つ6月23日、教皇はバチカンで「東方教会援助事業会議」(ROACO)の総会参加者と謁見した時、ウクライナ戦争を「(旧約聖書にある)カインとアベルによる兄弟相殺」と定義し、「悪魔、ルシファー(悪魔の一人)的な暴力」として非難した。こうした暴力の前で信仰者たちは、「祈りの力、愛徳の具体的な実践、兵器が交渉によって置き換えられるため、あらゆるキリスト教的方法を使い、抗していくように誘(いざな)われている」と伝えた。
バチカンのキリスト教一致推進省長官であるクルト・コック枢機卿は6月末、ドイツ紙のインタビューで、「キリル総主教によるウクライナ戦争の正当化は、“異端”に匹敵し、正教世界を分断した」と発言した。
教皇は、7月10日(バチカンでの日曜恒例の正午の祈り)にも、「神が、狂気の戦争(ウクライナ戦争)の終焉(しゅうえん)に向けた道を示してくださいますように」と祈った。カトリック教会の最高指導者たちにとって、キリル総主教の説く説話は、キリスト教の説く救済論とは相いれないのだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)