バチカンから見た世界(108) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

中東和平の最大の難関 聖都エルサレム問題が再燃

「私たちは何百回も目にし、言ってきた。聖都エルサレム問題に触れると、宿命であるかのごとく暴力と苦痛が広まり、全ての人々を巻き込む、と。中東紛争の中核はいずれの時も聖都の問題なのだ。教皇ヨハネ・パウロ二世が認めていたように、エルサレムに平和が来なければ、他の地域にも平和は来ないのだ」。これは、カトリック教会聖地管理局のイブラヒム・ファルタス神父の発言だ。

中東3大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通の聖地であり、さらにイスラエルとパレスチナ双方がそれぞれ国家のアイデンティティーとしての性格を持つ首都として主張するエルサレム。3宗教が絡み、2国民の歴史と精神性が交錯する聖都は1949年、国連によって国際法の管理下に置くと決議されたが、イスラエルは国連決議を認めず、48年から67年まで、事実上、同都は東西に分割され、西はイスラエル、東はヨルダンに管理が委託されてきた。西エルサレムは近代都市だが、東エルサレムには3宗教の歴史的建造物や史跡が集中している。

だが、1967年、六日間戦争(第三次中東戦争)で勝利したイスラエルは東エルサレムを併合し、イスラエル議会は1980年、東西エルサレムを「分割できない永遠の首都」と宣言した。国際社会は長年、このイスラエルの宣言を認めず、各国は大使館をテルアビブに置いてきたが、トランプ米大統領が2017年、米国大使館をテルアビブからエルサレムへ移転させ、イスラエルの主張を認めた。

また、イスラエル政府は1967年以降、東エルサレムをパレスチナ領であるヨルダン川西岸地区から切り離し、ユダヤ人の入植を進めてユダヤ化政策を強力に推進してきた。これにより、東エルサレムの約35%にわたる土地(24平方キロ)が入植地と化し、5万戸の住宅が建設された。東エルサレムの約25万人の人口の34%を占めるアラブ系住民の生活が、このユダヤ化政策によって圧迫され、ユダヤ人入植者に比べて貧困層が拡大しているのだ。