バチカンから見た世界(4) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
なぜ、バチカンから世界を見るのか?
「なぜ、バチカンから世界を見るのか?」――その答えは、1962年から65年まで行われた第二バチカン公会議の最終年、同市国内でローマ教皇パウロ六世と庭野日敬開祖の間で交わされた、「仏教徒がキリスト教徒のために祈り、キリスト教徒が仏教徒のために祈る」という言葉の中に凝縮されている。両指導者の間で交わされた言葉は、信仰や人種、文化の違いを超えて人を「結び付ける」(ラテン語でreligare)という、宗教の本質そのものに迫るものだからだ。
バチカンでの両指導者の出会いから50年以上が経過した世界の現状について、現教皇フランシスコは、「断片的な第三次世界大戦が進行している」との見解を述べている。世界各地で紛争やテロが発生し、過激派組織の台頭とその戦いは世界を巻き込み、大戦に匹敵するものになっているからだ。
加えて、グローバル経済の進展によって、世界的に貧富の格差が拡大。環境破壊や気候変動の影響を受け、もともと経済的に豊かでない人々を一層苦境に追い込む。紛争や貧困から逃れるため、大量の移民・難民が生まれている。しかし、彼らの多くは、「不法移民」との烙印(らくいん)を押され、欧米諸国では排除の対象になりつつある。
トランプ米大統領は、就任以来、米国を目指す不法移民を壁によって阻止し、中東の特定の国からムスリムの入国を制限する大統領令に署名した。「第三次世界大戦」が勃発したと指摘される世界で、今度は、宗教を理由に人々の移動を制限する壁の構築が始まったのだ。違う背景を持つ人々を結び付け、彼らの間に橋を架けることを目的とする世界の諸宗教者、とりわけ当事者であるキリスト教徒が、壁の建設に強く抗議している。
教皇フランシスコは、分断された人々と世界の救いを、また、人間の尊厳と人類全体の絆の回復を求め、神による宇宙と人間の創造を根幹とするキリスト教の一致思想を説く。一方、仏教には、壮大な法華経の宇宙観がある。一乗永久の大生命としての宇宙(天壌無窮=てんじょうむきゅう)の破片が、全ての人間の心の中に仏性として植え付けられている。それゆえに、“地球一家族”となる。
断片的な第三次世界大戦や世界の分断といった問題を解決していくには、明確な世界観が必要とされる。イデオロギーが崩壊した今、世界観を提供していくのは宗教の役割だ。キリスト教の一致思想、一切の対立を超える法華経の一乗思想を背景に、世界の事象を追い、報道する――バチカン記者室に、佼成新聞の支局が開設された意味と役割もここにあると思う。