バチカンから見た世界(61) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
1996年、米・ハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授による『文明の衝突』(原題は、文明の衝突と世界秩序の再構成)が刊行され、世界的に話題になる。国際テロ組織「アルカイダ」の首謀となっていくオサマ・ビンラディンの米国に対する宣戦布告を読み、その扇動の言葉が聖戦主義者のイデオロギーの礎石となりつつあると予見し、西洋にとってビンラディンの存在がイスラーム圏からの最大の脅威になるとの警鐘を鳴らす内容だった。
ルイス氏による「文明の衝突」論――この背景として、21世紀の世界に対処できないでいるイスラーム世界を見るルイス氏は、その困難さの起源を1683年のオスマン帝国による第二次ウィーン包囲の失敗にあると分析している。イスラーム帝国がキリスト教勢力によって敗退させられたところに、イスラーム世界の現代化に対する拒否の原因があるという指摘だ。先の「オッセルバトーレ・ロマーノ」は、彼の考えとして「西洋はイスラーム世界を研究するが、イスラームは西洋や他の文化の研究に困難を感じている」という言葉を挙げている。イスラーム世界の「現代化への拒否」に関するルイス氏の論文は、米国同時多発テロ発生の直前に発表された。
この中で、ルイス氏はアラブ圏における専制君主の存在を批判。イスラームがアラブ圏における民主化の障壁にはならないとの立場を表し、米国の新保守主義(ネオコン)やジョージ・ブッシュ大統領が推進した「アラブ圏への民主主義の輸出」に関するイニシアチブを支持した。当時の政治に大きな影響を与えたといわれる。
イスラーム史という学術の分野では高い評価を受けながらも、彼の政治的な主張や行動は、国際世論から強い批判を受けた。その例として、2001年に「(イラク)政権の交代は危険を伴うが、その危険を冒すだけの価値がある」と主張し、ブッシュ政権によるイラクへの軍事介入を論理的に支持したことが挙げられる。彼の発言は、国際世論から激しく非難された。また、オスマン帝国の時代に、少数派民族アルメニア人が、強制移住や虐殺によって大量の死を遂げたことに対し、「トルコ人にはアルメニア民族を壊滅させる意思は無かった」と主張し、「民族虐殺」との定義に該当しないとしたことも、批判の対象となった。
晩年には、欧州大陸がイスラーム圏からの大量移民によって政治的、文化的に脅威にさらされていくとする、どちらかと言うと、悲観的な研究に取り組んでいたとのことだ。