バチカンから見た世界(52) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

シスター・マリアは、男性聖職者の身の回りを世話するシスターたちの声を代弁。「未明に起きて朝食を作り、夕食を出し、部屋を掃除、整頓し、衣服を洗濯、アイロンをかけてから就寝する」が、「一般信徒の労働者と違い、彼女らの就業時間に規則はなく、報酬も申し訳程度で低い」と証言している。また、「男性聖職者が、女性の(神に身を捧げる)奉献者に食事を用意、給仕させる一方、彼女は台所で一人さびしく食事させられている」といった習慣を批判した。その上で、「男性聖職者が、同じ奉献者である女性を、このように扱うのは自然なのか?」と訴えている。

シスター・セシールは、こうしたシスターたちの悩みの背後に、女性奉献者の「奉仕と無償」の考え方に混乱があり、彼女らがその犠牲になっていると分析する。さまざまなカトリック修道会は、「奉仕と無償の献身」の精神を基盤に創設されたが、この確信がカトリック教会内部において「シスターたちに報酬を払うのは自然ではない」との考えを定着させ、彼女らが、「権力乱用」と搾取の犠牲者になっているとする。それは、報酬だけの問題ではなく、「シスターの有する資格や職務遂行能力の認可の問題」でもあると指摘している。

アフリカ、アジア、南米の貧しい家庭で育ったシスターたちの中には、病気の母親の治療費や家族の教育費を修道会が払っているため、彼女らは修道会の長上の指示に服さざるを得ない状況の者も少なくない。神学の博士号を持つシスターが、その才能を生かすことなく、長上の一存によって台所で料理や皿洗いを命じられているケースもあるとのことだ。

あるシスターは、「多くのシスターたちが、教会内部においては、男性聖職者が高く評価され、女性の奉献者に対する評価が非常に低いと感じている」と証言する。「キリストの花嫁」として隣人のために生涯を捧げるシスターたちが、カトリック教会内部における女性軽視の傾向や待遇を批判し、自身の能力に見合う適材適所の人材配置と雇用契約、正当な報酬を求め始めたのだ。

バチカン諸機関の改革を進め、世界で摘発される聖職者による児童性愛問題に対処しながら、「玄関で人を待つ教会ではなく、積極的に布教伝道のために外に出ていくカトリック教会への意識転換」を訴える教皇フランシスコ。カトリック教会内部における男女差別の克服が、もう一つの挑戦として浮かび上がってきた。