立正佼成会 庭野日鑛会長 8月の法話から

観蓮会であいさつに立つ庭野会長(8月1日、大聖堂)
8月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)
有り難き信仰
岡山に本部のある黒住教(教派神道)を開かれた黒住宗忠という方が、こういう歌を歌っておられます。
「有り難きまた面白き嬉(うれ)しきと みきをそのうぞ信(まこと)なりける」
有り難「き」、面白「き」、嬉し「き」と、「き」が三つあることで「三(み)き」と言っているんですね。また、神道で、神さまにお神酒(み き)を供えるわけですから、お神酒をそのうぞ信なりける、と。こうした「みき」、有り難いとか面白いとか嬉しいと、明るい気持ちになることが本当の信仰だと、そんな意味合いの歌だと思います。
そして、もう一つ、
「何事もありがたいにて世にすめば むこうものごとありがたいなり」
という歌も詠まれています。日々の生活で苦労をすることもあると思いますけれども、ご法を頂いて救われていく中で、有り難いとか面白いとか嬉しいというように心が明るくなる、それが信仰なんだということです。私たちもそうした信仰、仏教という教えに巡り合えたのですから、有り難いという気持ちで日々過ごすことができたら、これほど幸せなことはありません。そうした有り難いことを味わっているのだから、人さまもこのご法に導かれて、少しでも有り難く受け取れるような人になってほしいという願いを持って布教に邁進(まいしん)することが、私たちの務めであります。
(8月1日)
「四苦」は「四喜」
もう亡くなっておられますが、平澤興(ひらさわ・こう)という京都大学の総長をされた方の言葉を、私はいつも読ませて頂いて、元気づけられております。この方はとても明るい方で、仏教では「生老病死」を「四苦」と言っておりますけれども、「四喜」、四つの喜びと見ているのだと言っておられます。
「一年に四季、春夏秋冬があるごとく、生があり、老があり、病があり、死があるということは面白くそこに喜びがあると思っている」「生きるかぎり成長することです。それは、あらゆるものに手を合わせて、拝んでゆくことです」「自分を拝むことが出来なければ人をほんとうに拝むことは出来ない。自分を拝むその自分は無限の可能性をもっており、素晴らしい創造力、かけがえのない霊性(心)をもっている。このように尊い自分である」
一人ひとりはみんな尊い。だから、自分を拝むことができなければ、人を本当に拝むことはできないんだと述べられております。とても大事なところですね。そして、「天を拝む」「人を拝む」「己を拝む」、そうしたことが日頃の生活の中ではとても大事だとも言われています。本当に大切なことがここに述べられております。
(8月1日)