大聖堂、各地で慰霊式典・平和の集い
終戦から78年、今夏も各地で戦争犠牲者を悼む催しが開かれた。立正佼成会の大聖堂(東京・杉並区)での式典と併せ、広島、沖縄の慰霊供養、長崎での平和の集いを紹介する。
【大聖堂】
「終戦の日」の8月15日、本会の「戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日」が行われた。式典の様子はインターネットで配信(会員限定)され、会員は自宅で映像を視聴し、戦争犠牲者に思いを馳(は)せるとともに世界平和を祈念した。読経供養では、庭野光祥次代会長を導師に「方便品」「如来寿量品」を読誦(どくじゅ)。庭野日鑛会長の回向文が奏上された。
体験説法に立った郡山教会の青年男子部員(33)は、幼少期から人の顔色を見て思ったことを出せない自分だったと吐露した。自分を変えたいと思い、東北支教区の沖縄平和学習に参加。自分の思いを押し殺して国のために生きたひめゆり学徒隊の姿を通して、いのちの尊厳と正直に生きる大切さを学んだと語り、ありのままの自分を発見したいと誓願した。
この後、庭野会長が登壇。焼香と献鶴の後、法話を述べた。庭野会長は、日本の昔の国号「大和(やまと)」について、世界平和を国の本願としていると説明。聖徳太子が「十七条憲法」の冒頭で「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」と宣言したのも、大和に込められた大精神が国家的、民族的理想であることを表していると示した。さらに、そうした歴史があるからこそ、78年前の今日、昭和天皇は詔勅の中で「万世の為に太平を開かむと欲す」と述べたのだと話し、日本人が忘れてはならない精神であると語った。
また、人間が生きる上で不可欠な酸素や水は、人間が自ら作り出しているものではなく、大自然から頂いていると明示。自分の力で生きている者は一人もいないと話し、「終戦の日」を迎えて一人ひとりが、生かされているいのちに気づき、何を為すべきかと深く心に問い続けていかなければならないと強調した。
最後に、仏教の「縁」について触れ、人を愛することも、まずは家庭や隣人から始めていくことが縁であると示し、身近なところでいつも感謝し合いながら生きていくことが、大きくは社会や国、世界のためにもなっていくと説いた。