WCRP日本委女性部会発足40周年記念式典 声なき声に寄り添って

パネルトークの後、会場やオンライン参加者から登壇者への質疑が行われた

世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会女性部会の発足40周年記念式典とパネルトークが9月10日、フォレストテラス明治神宮(東京・渋谷区)で開催された。同記念事業の総合テーマは『ACTION WITH ALL BEINGS~すべての声なき声に寄り添う~』。当日は会場の様子がオンライン中継され、その視聴を含めた同部会会員や各教団の宗教者ら約90人が参加した。

同部会の前身である「婦人部会」は1981年に、「人類の幸せを真剣に考え、女性の内的向上、女性としての使命と自覚を深めるため、宗教を超え、手を携えて学び合い、平和のために献身する」ことを目的に発足した。これまでにカンボジアの孤児の里親運動や、内戦で親を失った子供の保護のための「養護センター」建設、配偶者や恋人から暴力を受けている女性やその子供を守る「女性シェルター支援」を行ってきた。

2012年、同日本委が公益財団法人に移行したのを機に、名称を「女性部会」に改めた。14年にはアドボカシー委員会を立ち上げ、東日本大震災の被災者と交流を重ねながら、4年の歳月をかけて『災害時に備えて――発達障がい児者受け入れのてびき』を発刊。同てびきは、災害時の避難の際に、周囲の配慮や支援が必要とされる発達障害児者の受け入れに必要な手立てが丁寧にまとめられていると各方面から好評を得ている。

第1部の式典では、森脇友紀子部会長(カトリック東京大司教区アレルヤ会会長)があいさつ。40年を振り返る映像が流れた後、植松誠同日本委理事長(日本聖公会主教)、アッザ・カラムWCRP/RfP国際委員会事務総長、障害児者の親の会「本吉絆つながりたい」の小野寺明美事務局長が祝辞を述べ、泉田佳子前部会長(芳澍女学院情報国際専門学校名誉校長)のメッセージが代読された。

この中で小野寺氏は、被災地の宮城・気仙沼市で、同部会が犠牲者に祈りを捧げてくれたことに対して謝意を表明。さらに、震災で夫を亡くした女性が、親戚から「なぜ、おまえたちだけが生き残ったのか」と非難されて苦悩している心に、同部会のメンバーが寄り添い、解きほぐしたエピソードを紹介した。また、同部会が発刊した『てびき』は、自然災害が多発する現代で、災害発生時における障害児の受け入れ態勢の構築に尽力していると称賛した。

第2部では、パネルトークを実施。松井ケティ同部会委員(清泉女子大学教授)をモデレーターに、稲葉奈々子・上智大学総合グローバル学部教授、ドウ・イン・イン・モウWCRP/RfPミャンマー委員会事務局長、柴谷宗叔・性善寺住職(高野山真言宗)がパネリストとして登場した。

稲葉氏は、海外から日本に移住した女性の現状に触れ、家族との不仲や夫から暴力を受けている場合には、助けを求めることや状況の打開が難しいと説明した。その理由として、日本で自立して生きるすべがないことや、出身地域のコミュニティーを出ることに恐怖心を抱いている点が挙げられると指摘。その上で、同部会会員に対して、女性移住者が助けを求める声を上げた時に、応援してくれる強い味方がいれば安心できるため、そうした支援の手を伸ばす必要があると進言した。

次いで、モウ氏は、ジェンダーに基づく暴力には「性」「身体」「心理」「経済」「文化・伝統」「インターネット」の六つがあると説明。世界中の女性が毎日それらの暴力にさらされていると話し、人間の尊厳を守る上で、また、平和を語る中で、ジェンダーの平等は不可欠と断言した。ミャンマーでは国軍の政権掌握によって、市民への弾圧が続き、常に周囲を警戒しなければならない日常が続いているが、その状況下でも、宗教者として正義、平等、愛を掲げて、宗教宗派、世代を超えて人々と語り合い、平和活動を進め続けると述べた。

性に違和感を持つ人が集える寺で住職を務める柴谷氏は、LGBT(性的マイノリティー)の意味や性差別に関する世界や日本の歴史などを詳述。自身も男性として生まれ、僧侶となった後に性転換の手術を受けた体験などを紹介しながら、「LGBTは人口の1割はいるとされています。どう接したらいいのかと聞かれますが、特別な対応は必要ありません。肌の色が違う人、眼鏡をかけている人がいるように、LGBTも当たり前にいるのだと受けとめて、一緒に暮らしていきましょうという気持ちを心に留めてほしい」と語った。

最後に、河田尚子副部会長(アル・アマーナ代表)が閉会のあいさつを述べ、参加者で平和の祈りを捧げた。