葬儀の意味と宗教者の役割を考える 教団付置研究所懇話会第17回年次大会
『なぜ、葬儀は必要なのか? ―葬送儀礼の意味と宗教者の役割―』をテーマに、立正佼成会の中央学術研究所が加盟する教団付置研究所懇話会の第17回年次大会が11月29日、京都・亀岡市の大本本部みろく会館で開催された。オブザーバーを含む24団体から115人が参加。中央学術研究所の川本貢市所長らが出席した。
同懇話会は、各教団の研究機関が宗教・宗派の違いを超えて情報交換や研究協力の可能性を探るため2002年に発足。自死問題、生命倫理、宗教間対話、宗教と法律といった各研究部会が設けられ、専門性の高い分野での連携も進められている。
近年、“宗教色のない弔い方”が増え、日本人の葬送観に大きな変化が見られる。これに対し、葬送儀礼における宗教の役割を考えるため、今回のテーマが掲げられた。
当日は、NCC宗教研究所の中道基夫氏(関西学院大学神学部教授)、宗教情報センターの桑原一郎氏(真如苑教学部長)、浄土宗本願寺派総合研究所の冨島信海氏、大本教学研鑽所の森良秀氏(大本本部祭務部長)が登壇し、研究成果を述べた。
中道氏は、『死者儀礼の再構築―キリスト教は日本の葬送文化から何を学んだか―』と題し、プロテスタント教会と仏教の葬儀の流れを比較して発表。プロテスタント教会では、牧師が参列者に対し、故人の復活といった教義に沿った死の捉え方を説くことを重視するあまり、遺族の悲しみを癒やす役割を十分に果たしてこなかった面があると指摘。古来、日本の仏葬には、親戚縁者が遺体を湯で拭き清める「湯灌(ゆかん)」、棺(ひつぎ)のふたに釘(くぎ)を打つ儀式など、遺族が身を使った儀式として死を受け入れるプロセスが組み込まれているとし、プロテスタント教会でも、祈りの言葉に遺族の言葉を組み込むなど、参集者が悲しみを共有する儀式に向けた工夫が必要であると提案した。