イラクの今 JENエマージェンシーオフィサー(緊急支援担当)・廣瀬美紀氏
イラク国内には現在、二つの政府が存在し、南部をイラク中央政府、北部3州をクルド地域政府が実効支配しています。南部にイスラム教シーア派のアラブ人、中部にイスラム教スンニ派のアラブ人、北部に、「国を持たない世界最大の民族」と言われるクルド人が住んでいます。このほか、国内には、ヤジディ教徒、キリスト教徒、トルクメンなど少数派の人々もいます。
サダム・フセインの独裁政権下で長らくスンニ派による支配が続きましたが、2003年の政権崩壊後は、シーア派が政権を握っています。
こうした複雑な状況で台頭してきたのが、過激派組織「イスラーム国」(IS)です。ISは11年にシリアで内戦が勃発したのを機に戦力を拡大し、14年1月からイラクのアンバール県、モスル、ベイジ、シンジャールといった都市を次々に制圧しました。
こうした暴挙に対して、イラク政府軍が奪還作戦を開始し、すでに多くの都市がISから解放され、現在、イラク第二の都市モスル奪還作戦が続いています。
ISが侵攻した2年前に「避難民」となった人々の多くは、各地の難民キャンプで暮らしています。彼らの生活を支援するため、国連機関やNGOなど170以上の団体が活動を続け、私たちJENはマミリアン避難民キャンプを拠点に水・衛生分野の支援を行っています。
主な役割は、水道管の修理や感染症予防の活動です。学校での衛生指導のほか、各世帯を回って節水や衛生的な行動を呼びかけ、石けん、歯ブラシなどの衛生キットを各家庭に支給しています。
このような戸別訪問を手伝ってくれているのが、キャンプに住む若者たちです。彼らは宗教や民族を超えて活動に協力してくれ、キャンプ内の問題を解決するための話し合いなども行っています。ボランティアの活動自体が彼らのやりがいにもつながっていると感じます。
切り裂かれた絆
最近、キャンプでは避難民と「新規避難民」の関係が大きな問題になっています。新規避難民とは、IS制圧下で暮らしてきたものの、戦闘が激化して抑圧が強まり、逃げてきた人々のことです。
彼らはISとの関わりを疑われるため、キャンプに入る際、厳重なスクリーニング(適格検査)を受けます。それでもなお、新規避難民を警戒し、キャンプを離れる避難民も出ています。その多くはヤジディ教徒の方たちで、彼らはISから異教徒と見なされ、虐殺の対象にされました。さらに、ヤジディ教徒の女性たちの多くがまだISに拘束されています。ですから、ISとつながりがあるかもしれない新規避難民によって、拘束されている家族が危険にさらされるのではないかと懸念しキャンプを離れていくのです。
一方、イラク軍がISの支配下から奪還した地域には、元住民が戻り始めています。こうした人々は「帰還民」と呼ばれています。解放直後の町は、全てが破壊された状態で、復興支援は必須です。
復興に取り組む中で日本との違いを感じることがあります。それは人とのつながりです。東日本大震災の後、頻繁に「隣の人ってこんなに優しかったんだ」という声を聞きました。困難な状況で周囲の人々と助け合い、絆が生まれていったのです。
しかし、イラク危機は人と人とを完全に分断しました。元来複雑な問題を抱えていた中、さらなる混乱によって敵味方の判断のつかない状況となり、人間不信が一層強まったのです。
今後、ISが一掃されたとしても、それからが正念場です。次世代を見据え、宗教や民族の隔たりがなくなるような長期的な対策が必要でしょう。
先ほどお話ししたボランティアの若者の中には、イラクの未来に期待が持てず、ドイツへ単身渡った方もいます。彼が新天地でうまくいくようにと願う一方で、国に残る選択をした人々に、例えば50年後、「あの時イラクを出なくて良かった」と思ってもらえるような、そんな支援を続けていきたいと思っています。
(12月5日に東京都千代田区のちよだアートスクエアで行われた『イラク北部人道危機を考える 国内避難民緊急支援・活動報告会~イラクの今~』から)
プロフィル
ひろせ・みき 大分県出身。2012年にJENに入職。プログラムオフィサーとしてヨルダン、イラク、日本(東北)に駐在し、支援活動に携わる。15年から現職。