座談会『全ての子どもが安心できる学校とは』 インクルーシブ教育の可能性を平田さんと語る

障害児を育てる母親や教育関係者との座談会

司会 自己紹介と、平田さんの発題や連載記事を読んだ感想をお聞かせください。

大山 私は元小学校校長で、現在はソーシャルワーカーとして主に不登校の子どもと触れ合っています。平田さんのお話では、子どもたちが互いに関わり合いながら成長していく姿が本当に素敵でした。担任の曽我部昌広先生が和毅さんの受け入れを前向きに考えたことで、クラス全体が温かな雰囲気になったと感じます。長く地道な努力がこうした温かな関係につながったのだと思い、心から敬意を表したいです。

櫻岡 私は中学校校長時代を含めて43年間、教師として教育現場に身を置きました。今回のお話から感じたのは、「友達力」です。私も校長の時に発達障害の子どもを受け入れた経験がありますが、同級生の関わりを通して卒業まで皆と学校生活を送りました。声掛け一つでも、「何やってんだ」と「どうしたの」では子どもの対応が違ってきます。子どもの権利条約に「意見表明権」がありますが、曽我部先生や平田さんのように、「子どもの意見を聞きながら一緒にやろう」という視点が大事だと感じます。

中川 小学校の特別支援学級で担任をしています。話を聞いて、平田さんが和毅さんのために環境を整えたのが大事な点だと思いました。インクルーシブ教育への挑戦に加え、曽我部先生に対して謙虚に接し、級友にも「いつもありがとう」と感謝の気持ちで接するからこそ、担任たちも温かな触れ合いができたのだと思います。

加藤恵子さん=大田教会=

加藤 自閉スペクトラム症と診断を受けた26歳の長男と、ダウン症である24歳の次男を育てています。正直、ここに来るまでは「環境の違いがある。平田さんだからできたこと」と思っていました。しかし、子どもたちの触れ合い方、また話を聞いたことで、場所や環境は関係ないなと。特に、曽我部先生が和毅君のありのままを受けとめ、授業中の発声を「何が言いたいんだろうね」という視点で共有し、子どもたちを巻き込んで一緒に考えていったことが素晴らしいです。親の立場だと、子どもに対して「こうしてほしい」とレールを引きがちですが、子どもの無限大の可能性を信じて共に歩むことがインクルーシブ教育の入り口なのだと思い、感激しています。

『生きづらさ』の奥にあるもの

司会 子どもが感じる学校での〝生きづらさ〟について、オンラインで参加している中学3年生二人(共に旭川教会)から発言して頂きます。その上で、皆さまの考える教育現場の課題、懸念をお聞かせください。

一人目 今の学校では自分の意見を発言しづらい場面があります。周りの空気感というか、いじめや嫌がらせをしている人がいるという環境が、そうした気持ちにつながっていると思います。

二人目 私にとって学校はあまり好きじゃない場所です。先生が「こんな簡単な問題できるよね」と言ったり、勉強が苦手な生徒をよく当てたりするからです。授業が楽しくなく、不安に思うことが多いです。

平田 今話してくれた一人は私の三女なのですが、23歳の長女の声も紹介させて頂きます。長女は今、就職して元気に過ごしていますが、小中学校の時に頭痛や腹痛が続き不登校気味だった時期があり、当時を改めて振り返ってもらいました。

「どの学校も優生思想だった。能力がある、できることが良いとされ、できない人は排除されていた。(中略)優生思想は先生たちがつくっていた。体育では運動部の子が優位だし、別の授業では勉強できる子が黒板の前に出ることが多かった。(どちらでもない)自分はその場にいなくてもいいと思っていた。だから全て諦めていた」

シビアですね。こうした先生方の教育の基には、「スタンダード」と「パターナリズム」があるように感じます。「スタンダード」は規範となる言動を「当たり前」と一律にするものです。三女が小学5年生の時に持ち帰ったプリントには、「高学年として正しい行動をしましょう」「給食後、ごちそうさまをした3秒後に席を立ちましょう」などと書いてありました。これは先生が願う生徒像であり、できない子を排除する感覚につながりかねません。

「パターナリズム」は立場が上の人が下の人の意思決定に介入することです。子どもが権利の主体のはずなのに、「あなたの幸せを思って言っている」と伝えた上での指摘は、意見表明しづらい状況をつくっていると思います。

また、特別支援学級は学力向上や生活指導のためと理解していますが、教室を分けることで、「自分と違う子は別の場所に行くもの」と暗に伝えています。これが共生社会にどうつながるのかと懸念を感じます。

中川正成さん=大船教会=

中川 私は以前、児童支援専任教諭をしていたので、先ほどの「スタンダード」をつくる立場でした。先生が足並みをそろえるために必要なのですが、子どもたちに目的を説明せず、細かいルールのように書いてしまうと、法律を守らない人への「罰則規定」のようになり、子どもたちの生きづらさにつながっていると感じます。

大山 学校で先生が「こうしなさい」と言葉を強くすることで、自分に言われていると萎縮し、不安感が大きくなって不登校になる子どもも増えています。平田さんの連載記事を読むと、和毅さんがいるおかげで級友が「安心できた」という声がありました。教室にホッとできる居場所があることがどれほど大切かを示してくれています。

櫻岡 「分離教育」について、学校現場の経験者として大変耳が痛いです。「分離教育をすれば分離社会になる」という人がいますが、数年前に日本は国連から、インクルーシブ教育から遠い現状だと勧告を受けました。ですが当時の文部科学大臣は、一人ひとりの教育的ニーズに応じた学びの場の整備を理由に「特別支援教育の中止は考えていない」と発言しました。

学校教育も特別支援教育も、「子どもの持てる力を伸ばす」という共通点があります。しかし通常の学校教育は、「同学年の子が同一教室で同じ教育目標に向かって進む」という集団教育を明治から150年以上も続けており、先生方はその発想で子どもたちを見てしまいがちです。さらに近年、発達障害の子が増えてきたことなどから、特別支援学校などの子ども一人ひとりの特性に応じた教育(自立活動など)を大切にする「療育」という考え方が通常の学校教育の中に入ってきました。両者を大切にした学級運営は可能ではありますが、先生方の声を聞くと教育と療育の間で混乱しています。それが保護者との教育に対する認識の違いにもつながり、教師も保護者も困っているのが現状で、相互の対話によりその差を埋めていく必要性を感じます。