「教皇が初の国際旅行に出発」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

キリスト教一致は人類一家族への道――教皇の説くキリスト教

トルコのイズニクにあるニケアの古代遺跡群の前で11月28日、正教会のエキュメニカル総主教であるバルトロメオ一世、ローマ教皇レオ14世、世界教会協議会(WCC)のジェリー・ピレー総幹事らを中心とする、キリスト教諸教会の指導者、キリスト教世界組織の代表者たちが、半円を作って並び、分裂しているキリスト教の一致のために祈った。

場所は、1700年前にローマ帝国のコンスタンティヌス1世によってキリスト教会史上初の諸教会 間(エキュメニカル)公会議 が招集された史跡の前だった。当時、人となったキリストの神性(神格)を認めるかどうかの神学論争が噴出し、キリスト教会のみならず、ローマ帝国の基盤をも揺るがす事態となっていた。キリスト教に改宗したローマ皇帝によって招集された「第1回ニケア公会議」は、「父なる神と同じようにキリストの神格を認める」判断を下し、同会議で採択された「ニケアの信仰告白」は、現在、分裂しているキリスト教諸教会間でも「共通の信仰告白」として認められており、キリスト教一致のシンボルとして受け取られている。

「ニケア公会議1700周年記念式典」は、キリスト教の一致を促進していくために、バルトロメオ一世総主教によって提唱されていた。世界からのキリスト教指導者をニケアに迎え入れた同総主教は、彼らに向かい「十字架上の逆説」を説いた。さらに、「ニケア」という名前が、ギリシャ語の「勝利」から派生すると指摘し、「俗世界が勝利について考察する時、権力と支配を想定するが、キリスト教徒の思考方法は違う。われわれの勝利の逆説は、奪い取ることのできない十字架の印だ。国家(の政策)にとっては愚考、敗北の印かもしれないが、われわれにとっては(救いへ向けての)叡智(えいち)と神の権能の最も崇高なる表現なのだ」と主張した。神の子であるキリストが、人々を救うために天使の軍団を使ってローマ帝国と闘うのではなく、十字架上での死を選んだという逆説だ。

同総主教による歓迎の辞に教皇レオ14世は、「現代世界の男女とキリスト教指導者としての私たち個人にとって、キリストが誰なのか?」との問いを発することによって答えた。キリストを「カリスマ的リーダーやスーパーマン」として受け入れ、「キリストの神格」や「人となった神」という「受肉」の現実を認めないなら、どうして私たちが「神の神性(救い)に与(あずか)ることができるのか」という、ニケア公会議の中心テーマを現代に投影しての問いだった。「唯一の主であるイエス・キリスト、唯一の神の子として生を受け、全ての時の以前(時間が創造される以前/永遠)に神なる父から生まれ、 、父と同じ神格を有するキリストを信ずる」との「ニケアの信仰告白」が、キリスト教徒たちを結び付ける深い絆であり、「キリスト教徒たちが完全なる一致へ向けて歩む道程において、抜本的な重要性を持つ」と呼びかけた。

また、キリスト教の分裂を「スキャンダル」と呼ぶ教皇は、「われわれが、より和解すればするほど、キリストの福音に対して、より信ぴょう性のある証しができる」と鼓舞する。だが、福音のメッセージが「われわれの属する共同体と国家の境界を超える、平和と普遍的友愛のメッセージ」であり、「キリストを信ずる全ての信仰者の間における完全なる一致は、全ての人間存在の間における友愛の探求によって伴わなければならない」との注意を促す。なぜなら、「神の似姿として創造された、他の全ての男女を兄弟姉妹として認めることを拒否するならば、神を父として呼ぶことはできない」からだ。民族、国籍、宗教、個人的見解を問わない、男女(人間)の普遍的友愛に関し、「(世界)諸宗教は、その本質的役割からして、この真理の宝庫であり、それを認識し、実践していくように人々を奨励する」のだ。従って、われわれは、「戦争、暴力、または、あらゆる形での原理主義(過激主義)や狂信主義を正当化するために宗教を使うことを、強く拒否してゆかなければならない」。われわれが歩まなければならない道は、「友愛の出会い、対話、協調」といえる。

最後に教皇は、同総主教による「ニケア公会議1700周年記念式典」を現地で執り行うイニシアチブを、「偉大なる叡智、先見」として讃(たた)え、スピーチを結んだ。
(宮平宏・本紙バチカン支局長)