涅槃会 今この時を大切に 庭野会長「念を入れて生きる」尊さ示す (動画あり)
釈尊入滅の意義をかみしめ、さらなる仏道精進の決意を新たにする「涅槃会(ねはんえ)」が2月15日、立正佼成会の大聖堂(東京・杉並区)で開催された。新型コロナウイルスの感染防止策が施される中、説法者の所属する大垣教会の会員を中心に約270人が参集。式典の様子はインターネットでライブ配信(会員限定)された。法話に立った庭野日鑛会長は、釈尊入滅の意義を通じ、人は誰もが必ず死を迎えるという事実を受け入れるとともに、目の前の物事に念を入れて取り組み、真剣に精進して生きていくことの大切さを説いた。
式典では、映像作品『釈尊涅槃』の上映に続き、庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、庭野会長の啓白文が奏上された。この後、大垣教会青年婦人部長(48)が体験説法に立った。
青年婦人部長は、がんを患い、6歳で亡くなった長男の2年間の闘病生活を振り返った。入院生活に付き添う間、未会員だった青年婦人部長は信仰を持つ夫や義母に倣って病室で読経供養をするようになり、『法華経の新しい解釈』を通じて経文の意味を学んだ体験を述懐。長男に回復の見込みがないと医師に告げられて絶望の淵に立ちながらも、治療で体がつらいはずの長男が、病棟内で不安そうな表情の子供を見つけては、「大丈夫」「良くなるよ」と笑顔で励ます姿に「自分の身体を犠牲にしても、人々の心に明かりを灯(とも)す、薬王菩薩さまの姿を見た」とし、「心の救いを頂けた」と当時を回顧した。
長男の看取(みと)りを機に教会に通い始め、サンガ(教えの仲間)の相談に耳を傾ける時間が自分にとって大切なものと思えるようになった現在の生き方は、「(長男の)菩薩の命を受け継いだ人生」と言明。そのことに気づくことができたのは、「どうにもならない悲しみを受け入れるしかなかった経験があったから」とかみしめた。
この後、法話に立った庭野会長は、「涅槃」とは、サンスクリット語のニルバーナの音写で、「迷いのなくなった境地」を表すと説明。また、人の死を一般的に「不幸にあう」と表現するが、この世に生まれた全ての人には、必ず死が訪れることから、「死ぬ人」と「死なない人」の区別はなく、それゆえに死を幸、不幸で分けることはできないと述べた。
さらに、青年婦人部長の体験説法に触れ、幼い子供の死は本当に悲しい出来事と受けとめた上で、「そうした悲しみを通して、仏さまの教えをさらに深く受け取ることができるように成長させて頂くことが大切」と説いた。
また、「念を入れて生きる」ことの重要性について言及し、「念」の字は、「今」の「心」と書くことから、今、目の前の物事を大切にして生きることが、「念を入れて生きる」ことの本当の意味であると強調。人の死に接した時、悲しみにふけるだけでなく、今に目を向け、前向きに生きることで、「亡くなった人が浮かばれるのだと思います」と述べた。