立正佼成会 庭野日鑛会長 8月の法話から

「終戦の日」に

ある方が、こういうことを述べられています。

「私たちは自分の力、自分の努力や頑張りで生きていると思い込んでいますが、実はもっと基本的なところで、私たちの力によるものなどなにもなく、生かされています。

ですから、人やもの、すべてのことに対して、私たちは感謝をするほかはありません。

私たちにできることは、感謝です。その感謝を惜しみなく実践し、それを周りに分け与えていく。その感謝の心を投げかけていくということが、徳なのではないでしょうか。

それは当然のことながら、人間一人ひとりに対して尊敬し、大事に思うようになります。また同時に、植物や動物に対しても、丁寧になると思います。

そして自分の置かれた状況や環境などに、文句を言わない、愚痴を言わない、泣き言を言わない。

恵まれていることに対して、ありがたいと感謝すること。

これを簡単に、『徳』と言いかえていいのではないでしょうか」

私たちは日頃、自分の力で生きているような感じでいますけれども、酸素とか水とか、それが無くては生きていけないものは、自分がつくっているわけではありません。大自然、大宇宙の中で神さま仏さまから頂いている、大自然から頂いている、ということです。

私たちは大自然の中に生かされている――そのことを一つ一つ深く考えてみますと、自分の力で生きている人は誰もいない、生かされているんだ、ということしか言えないわけです。「終戦の日」を迎えて、私たちは、そうしたことにしっかりと気づいて、何をしたらいいのかと深く心に問い続けていかなければならないと思うのです。
(8月15日)

画・茨木 祥之

身近な人を愛することから

仏教には、「縁(えん)」という教えがあります。人間活動の重要な問題に縁というものがあって、全ては縁に従って行うべきである、と教えて頂いています。人を愛することも、世界だとか人類だとか、そういった言葉を使う前に、まず家庭や隣人との関係から始めていくことが、縁というものだといわれています。

私たちは、とても人類全体を救うようなことはできません。しかし、家庭にあって、あるいは隣人と共にあって、そこでいつも感謝し合いながら生きていくことが大きくは社会のため、国のためとなり、世界のためにもなっていくわけです。

一番身近なところ、すなわち家庭の中、隣人との関係、そこでの愛が、私たちにとってまず大事なことです。日本の国の精神、また国の願いとともに、そうしたことを、私たち一人ひとりのこれからの精進の目当てとさせて頂くことが大切であろう、と受け取っています。
(8月15日)