バチカンから見た世界(138) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)
ウクライナ和平調停を目指すバチカン外交
ウクライナのゼレンスキー大統領は5月13日、バチカンを訪問し、40分にわたりローマ教皇フランシスコと会見した。バチカンが公表した声明文によれば、両指導者は「長引く戦争によって発生した人道、政治状況をテーマに懇談」したとのことだ。
さらに、両指導者が「ウクライナ国民に対する人道支援を継続していく努力の必要性について合意」し、「教皇は、より弱く、無実の戦争犠牲者に対する、“人間的な行い(ジェスチャー)”の緊急なる必要性を強調した」という。
だが、声明文は、「和平を目指して努力を継続する必要性」に言及しながらも、国際世論の注目する和平調停に向けたバチカン外交のイニシアチブについては沈黙を守っている。世界平和の希求を主要目的に置くバチカン外交は、昨年のロシアによるウクライナ侵攻(2月24日)以来、両国間による和平交渉の可能性を求めて、水面下での一貫した外交活動を展開してきた。教皇は、侵攻開始の翌日に駐バチカンロシア大使館を訪問し、アレクサンドル・アウデーエフ大使との30分にわたる懇談の中で、ウクライナ侵攻に関する憂慮を表明し、対話による平和的解決を訴えていた。
現在まで120回にわたりウクライナ和平アピールを発してきた教皇は、キーウに招待された時も、「モスクワに行けなければ、キーウにも行かない」との立場を固持し続けてきた。中立の立場を表明することで、バチカン外交によるウクライナ和平調停の可能性を模索する余地を見いだしたかったからだ。
そして、教皇は4月30日、ハンガリー訪問からの帰路の機上で報道関係者たちと懇談し、訪問中に面会した「オルバン首相やロシア正教会のヒラリオン大主教(ブダペスト大主教、モスクワ総主教区前外務部長)ともウクライナ和平の可能性について話し合った」と発言。「皆が(ウクライナ)和平に向けた道程について関心を持っている。私は、必要なあらゆる努力をするつもりだ。今、(バチカンは)和平ミッションを展開中だ。公表できる時が来たら明らかにする」と述べ、バチカン外交が水面下で和平調停に向けた道を求めて動いていることを示唆した。
だが、教皇の発言が国際通信社によって報道された直後、ウクライナとロシアの政府関係者や報道官は、「バチカンの和平調停に関するイニシアチブについて何も知らされていない」との声明を発表したのだ。これに対し、バチカン国務省長官のピエトロ・パロリン枢機卿は、バチカンの外交イニシアチブに対する両国政府の反応に「驚き」を表明し、「私の知る限りでは、両国ともバチカンのイニシアチブについて知っていた」と応酬した。
さらに、パロリン枢機卿は5月10日、報道関係者たちに向けて「(バチカンのイニシアチブに関する)新しい展開があるが、まだ公表できない段階にある。誤解も解消されると信じているので、取り組みは継続されていく」と述べた。
パロリン枢機卿が指摘した「新しい展開」とは、ゼレンスキー大統領のバチカン訪問だったのか。ロシア側のバチカンに対する反応にも変化はあったのか。いずれにせよ、現時点ではウクライナ侵攻の和平交渉は介入を許さない状況だ。
それを裏付けるかのように、ゼレンスキー大統領は教皇との会見後、イタリア国営テレビ(RAI)のインタビューで「唯一の正義にかなった和平案は、ウクライナの主張する和平案」であり、それに対するバチカンの支持を教皇に要請したと明かした。さらに、「プーチン大統領との調停は不可能」と教皇に伝え、「侵略者(ロシア)と犠牲者(ウクライナ)を明確に区別すべき」との見解を表明し、バチカンの中立的な立場を批判することも辞さなかったようだ。
聖下に対する深い敬意を表しながらも、ゼレンスキー大統領が伝えたバチカンへのメッセージは、「私たちは調停者ではなく、正義にかなった和平を必要としている」だった。