「法華三部経」の要点

分別功徳品第十七(ふんべつくどくほんだいじゅうしち)

仏さまの寿命は永遠であり、私たちは仏さまに護(まも)られている、生かされている――そのように確信できれば、「ああ、有り難い」という悦(よろこ)びがわき起こってきます。

そして、その悦びは、人生に対する自信となり、私たちは大安心(だいあんじん)の気持ちで何事にも積極的に取り組めるようになります。そのように心境が変われば、顔つき、言葉遣い、行いが変わります。「信仰によって心境が変わり、心境が変わることによって人生が変わる」。これが、信仰の功徳です。

随喜功徳品第十八(ずいきくどくほんだいじゅうはち)

この品には「五十展転(ごじゅうてんでん)」の教えが説かれています。教えを聞いて心から「有り難い」という悦びを感じ、それが次々と人に伝わり、五十番目の人が「有り難い」と感じたとしたら、その人の得る功徳でさえ、とても大きいものがあります。まして、最初の人の得る功徳は計り知れないのです。

心から「有り難い」と思う感激の心は、信仰にとって欠くことのできない根本の要素です。人から人へと展開していく無限のエネルギーを持っており、人を救い、世を救う力となって発展していく功徳があるのです。

さらにこの品では、説法を少し聞いただけでも、また、説法会(え)で後から来た人に、身をずらして座らせてあげただけでも、その功徳は実に大きいと説かれています。これらは、法縁の大切さ、教えに触れる縁を他の人に与える尊さを示しています。

私たちは、『法華経』を伝えてくださった開祖さま、脇祖さま、そして多くの先達によって尊い法縁に触れることができました。その有り難さ、教えによって救われた悦びを多くの人にお伝えしたいものです。

法師功徳品第十九(ほっしくどくほんだいじゅうく)

この品では「法師」のなすべき行――「五種法師(ごしゅほっし)=受持(じゅじ)・読(どく)・誦(じゅ)・解説(げせつ)・書写(しょしゃ)」を行じて信仰が深まれば、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)の六根(ろっこん)が清浄(しょうじょう)になると説かれています。

波立った水面に映るものはゆがんで見えますが、穏やかで澄んだ水面は鏡のようにものごとをよく映し出します。それと同じように、六根が清浄になるということは、人々の迷いや悩み、ものごとのあり様(よう)〈=実相〉がよく分かるようになるということです。

信仰が深まり、六根が清浄になれば、その人の考え方や行動は、自然と仏さまの教えに合致してきます。「すべてのものを生かす」という仏さまのものの見方に近くなっていくからです。そうなると、教えが私たちの家庭生活、社会活動にも生きてはたらくのですから、その功徳はとても大きいと言わなければなりません。

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