「法華三部経」の要点

信解品第四(しんげほんだいし)

「譬諭品」の説法を聞いて大歓喜(だいかんぎ)した四人の弟子が、「このように受け取りました」と「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の譬え」を発表し懺悔(さんげ)します。

長者〈仏さま〉は、長い間、家出したままでいた息子〈私たち〉と再会しますが、息子は卑屈な心になっていたため、実の親子であることに気づきません。なんとか目覚めさせようと、長者は汚い身なりで一緒に働き、息子に便所やどぶの掃除をさせました。やがて、息子は宝物の倉庫の管理も果たせるようになり、自信を持ちます。そして長者は臨終の時に一同の前で「これは私の息子です。財宝〈仏の悟り〉はすべて息子のものです」と宣言します。

「自分はだめな人間だ」という卑屈な考えは、自分の仏性・いのちを否定することです。仏さまはいつも私たちを見守ってくださっています。私たちは皆、仏性を具えた仏さまの子なのです。そのことに気づくことが、いのちの尊さに気づくということです。

薬草諭品第五(やくそうゆほんだいご)

人はそれぞれ違った個性や特長を持っています。この品で強調されているのは、私たちは、そうしたあるがままの自分を生かしながら、仏に近づいていけるのだということです。

降り注ぐ雨〈仏の教え〉は、すべての草木〈人々〉を平等に潤します。ところが、草木に大中小の違いがあるように、人にも、性質、能力、環境などの違いがあります。したがって、真理の受け取り方もさまざまです。仏さまは相手により、場合によって、それに応じた説き方で教えられ、すべての人を平等に仏の境地まで導かれます。

それぞれの人が仏性を具え、個性に応じて成長していく点では全く平等なのですから、私たちは、自分のいのちの尊さに気づき、それぞれの良い持ち味を積極的に発揮することが大切です。卑屈にならず、あるがままの自分を精いっぱい発揮し、教えを実践していく中で、私たちは生きがいのある、創造性あふれる人生を送ることができるのです。

授記品第六(じゅきほんだいろく)

「授記」とは、「修行すれば、あなたは必ず仏になれる」という保証を、お釈迦さまから授けられることです。「譬諭品」では舎利弗が授記されましたが、この品では「信解品」で体験を発表した四人の弟子が授記されます。

仏さまの教えを学び、日常に当てはめて内省すること、そして、仏さまの教えを他の人にもお伝えすることが仏教徒としての生き方です。私たちも、その繰り返しによって、必ず仏になることができるのです。

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