「法華三部経」の要点

妙荘厳王本事品第二十七(みょうしょうごんのうほんじほんだいにじゅうしち)

他教を信じていた妙荘厳王が、浄蔵(じょうぞう)、浄眼(じょうげん)という二人の王子の見せた奇跡によって仏の教えに導かれます。そして、王位を弟に譲って出家し、修行した結果、高い境地に達することができました。王子の見せた奇跡とは、教えを実践することで人格が一変し、日常の行いが変わったことを表しています。

この物語には、二つの大切なポイントが示されています。一つは、人を教えに導くには、身をもって教えの功徳を実証すること。特に、家族に対しては、口先ではなく生きた実証こそが説得力を持つと強調されています。教えに沿って生きる日常の自分の姿や行動が家族を感化せずにはおかないのです。

もう一つのポイントは、指導的立場の人を正しい信仰に導くと、必ず多くの人々に良い影響を与えるという点です。

普賢菩薩勧発品第二十八(ふげんぼさつかんぼっぽんだいにじゅうはち)

普賢菩薩がお釈迦さまに『法華経』の真の功徳を得る法を求めたところ、いろいろ説かれた難しい教えを実践しやすいように平易にまとめ、四つの条件を示されました。

それは第一に、自分は仏さまに護られているのだと確信すること。

第二に、いつも善い行いをするよう心がけること。

第三に、いつも正しい信仰者の仲間にはいっていること。

第四に、いつも人のために尽くすようめざすこと。

簡潔に示されたこれらの条件は「四法成就(しほうじょうじゅ)」と呼ばれ、『法華経』の全体をまとめる大事な実践目標です。

仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)

このお経には『法華経』を生活に生かすために最も大切な懺悔(さんげ)について説かれています。多くの苦労を乗り越えた人は、人の思いが自分のことのように分かり、自然に思いやりの実践ができるようになります。しかし、一方で、苦労が心の垢(あか)となり、思いやりの心を失ってしまう人もいます。せっかくの苦労を栄養にできなかったときにそうなるのです。不都合なことを自らの成長・向上の縁〈栄養〉とするための根本的な行、それが懺悔です。

その一つは、自分の行いや心の持ち方の過ちを、同信の人や指導者に告白すること。もう一つは、直接仏さまに対して懺悔することです。教えに照らして自分の足りない所をどこまでも内省し、妥協することなく自分を磨き上げていくことです。

このお経には、懺悔の方法として、六根〈眼・耳・鼻・舌・身・意〉を清浄にする懺悔が説かれています。さらに、在家の修行者に向けて、五つの懺悔が示されています。その一つは、三宝を重んじ、諸法実相を常に心に思うこと。二つ目に、父母に孝行を尽くし、師を敬うこと。次に、正しい法によって国を治めること。四つ目は、いのちの尊さを人々に伝えること。最後に、因果の道理を深く思い、「一乗の教え」を信じ、仏さまと常に一緒であると自覚すること。以上の五つです。

最高の懺悔とは、「自分のいのちの本質は仏性であり、永遠のいのちである本仏と一体である」という実相〈一乗の教え〉を想(おも)い念じることです。

それは、「目の前の現象はこれからも変わらないだろう」という妄想や「変わってほしくない」という執着を捨て、「すべての存在は互いに関係しつつ変化し、変化しつつ関係し合い、宇宙全体が大きな調和を保っている」という実相を深く想い念じることでもあります。そうすれば、苦の現象を固定的に見て絶望することも、自己中心な考えや行動によって苦を増大させることもなくなり、生き生きとした人生を歩むことができます。

懺悔とはこのように、仏の智慧(ちえ)によって生まれ変わることだと言ってもいいでしょう。