立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から

画・茨木 祥之

テーマを持って生きる

人生のテーマには、「短期」「中期」「長期」の三つがあります。

短期のテーマで私たちが思いつくのは、働いている人であれば、自分の職場で仕事をすること、つまり目の前のことです。今日一日のこと、あるいは自分が会社などで働いている間のこと――これが、いわば短期になります。

そして、今度は一生のテーマ。この人生をどうやって生きていくか、という「中期」のテーマです。菩薩として、人さまのためにご法をお伝えすることは、人に喜ばれることです。ですから、喜ばれる人になっていくことを、今生の、いま生きている間の、人生のテーマにしていこうと受け取って、私たちは歩んでいるわけであります。

それから、「長期」のテーマはどうなるかと言いますと、ある方は、私たち人間が何千回、何万回と生まれ変わり、追い続けていくことを「長期」のテーマと教えてくださっています。これも今生の、いま生きている間の、人生のテーマと同じように、やはり魂を磨いて、人から喜ばれ、人に有り難いと思って頂けるようになることをテーマにして生きていくということになります。

その意味で、「短期」「中期」「長期」、それぞれのテーマを持つことが、私たちの人生を意義あるものにしていくと言えます。

満足できる人生を

人生には、いろいろな現象が起きます。しかし、目の前にどんなことが起きても、そのことに対して、不平、不満、愚痴(ぐち)、悪口、文句、泣き言などを言わず、無我になって精進をしていくと救われます。

しかし、不平、不満、愚痴、悪口、文句、泣き言を、人生の中で全く言わない人は、まずいません。そういうものをだんだんと減らしていくことが大切です。そして、最終的には、みんな命が尽きて、棺桶(かんおけ)に入るわけですが、棺桶に入って、横になった時に、「ああ、いい人生だったな」と振り返ることができるような一人ひとりになることが大事だと、私はつくづくそう思います。

幸せに気づく

偏頭痛の経験のある人は、もしもこの偏頭痛が治ったら、どんなに幸せであろうかと思われるようです。そして、ある日、突然、偏頭痛が治った時、何もない静かで平穏な日々がどれほど幸せであるかを実感したというのです。

しかし、偏頭痛が全くない人間にとって、偏頭痛がないこと、平穏であることがどれほど幸せであるかは分かりません。私たちは、幸せの中に暮らしていながら幸せが分からない、そういう偏頭痛といった悩ましいことが自分の体にはないにもかかわらず、その幸せが分からないのです。

自分が幸せの中にいながらそれを知らない。見えない、分からない、認識できないということが、私たちにはたくさんあります。その代表的なものが「幸せ」です。