立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から

6月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。
(文責在編集部)

当たり前の中に

『しあわせ』というタイトルの詩があります。
生きている
健康である
手が動く 足で歩ける
目が見える 耳が聞こえる
このあたりまえのことの中に
ただごとでない
しあわせがある

とかく私たちは、当たり前なことの中に幸せを見ることができません。そうしたことが、この詩に込められています。これは、いつもご紹介致します教育者の東井義雄先生の詩です。

当たり前なことの中に幸せを頂いている――私たちは、まずそのことに気づくことが大切だと思います。

今年次の信行方針の中で、「有り難し(ありがたい)」「感謝(ありがとう)」ということを述べさせて頂きました。私たちが人間として生まれてきた――すでにそのことが有り難いことです。それを、いまの詩ではありませんけれども、「そんなことは当たり前のことだ」と受け取りがちです。しかし、お互いさま、そうした当たり前のことを、感謝で受け取らせて頂ける人間になっていきたいと思います。

互いを拝む

日本では、お互いを尊んで、礼をすることが大切にされます。柔道とか、剣道とか、あるいは茶道とか、「道」のつくものが日本にはありますが、全てお互いに礼をすることから始まります。また仏前、神前、つまり仏さま、神さまにお参りするのも、礼です。人間と仏さま、人間と神さまの礼であります。この礼が、まさに愛し、敬うことにあたりますから、お互いに礼をする、あいさつをすることが、人間として平和な世界をつくる最も基礎になるわけです。

私たちは、合掌・礼拝(らいはい)することを通して、そのことを実践させて頂いています。大聖堂のご本仏さまにお参りをするのと同じように、人間同士がお互いに礼を交わす。それは、仏さまのいのちも、人間のいのちも、同じように尊いことを、そこに表しているのです。そのことに気づいていくところに信仰があるのではないか――私は、そのように受け取らせて頂いています。