『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(4) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

宗教における対話の重要性

公共的な活動をする際に不可欠なのが、対話である。前回に書いたように、「共謀罪」法が危険な理由の一つは、話し合いをしただけで「共謀」とみなされてしまう危険性があるからだ。実際に参議院の審議では、環境保護や人権保護を標榜(ひょうぼう)している団体でも、それらを隠れ蓑(みの)にしている場合には処罰されうると、法務大臣が答弁した。宗教を掲げている団体も同じように対象となりうるわけだ。対話が大事な宗教団体にとって、これは由々しき問題だ。

なぜ宗教にとって対話が重要か。もちろん一般の社会においてもコミュニケーションは大切だ。けれどもその多くは、人間関係を円滑にするためのものや、実務的・現実的なものだ。思想的な観点からは、これは「対話」というよりも「会話」と呼んだ方が自然だ。この二つは日常語では同じような意味で使われることも多いが、相手との間で価値観や世界観、または地位・立場・年齢・性別などによる考え方の違いがあって、それが話題に関係しているときには、「会話」というよりも「対話」と言った方がいい。

日常生活やビジネスなどでは考え方の違いに立ち入らずに、スムーズなコミュニケーションを心がけることが多い。実際には自分と考え方が違うところがあっても、それをあえて話題にして険悪な雰囲気になることは避けたいからだ。人と会った時にお天気の話題からしばしば入るのは、このためだ。

でも人生においては、意見の対立を回避せずに正面から話し合わなければならないことがある。ビジネスでも、深刻な問題については、他の社員と対立する危険があっても議論することが必要だろう。いつもそれを避けると、赤字が出たりプロジェクトが失敗したりしかねないからだ。

話し合いの必要がもっと大きいのが宗教や政治だ。宗教はそもそも生き方や世界観・価値観を扱うので、このような話題を避けては通れない。ここでも円滑なコミュニケーションは大事だから、「会話」も不可欠だ。でもそれだけでは、生死の問題について扱うことができない。宗教が大事なのは、このような重要な問題に正面から向き合う必要があるからなので、それを避けて「会話」だけをしているのでは意味がない。

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