『現代を見つめて』(7) 文・石井光太(作家)

学ぶことが楽しみな子供たち

途上国のスラム街や難民キャンプの学校へ行くと、子供たちが笑顔で楽しそうに勉強をしている光景をよく目にする。まるで宝物を前にしたように目を輝かせ、大声で計算をしたり、英語をしゃべったりしているのだ。

どうしてだろう、と思ってきた。小学生の頃の私は、「なんで学校なんて行かなければならないんだろ。面倒くさいなー」とばかり思っていたからだ。

少し前、アフリカのタンザニア、貧困地区の学校を訪ねた時もそうだった。教室をのぞいてみると、五十人くらいの小学生たちがこぞって手を挙げ、われ先に問題を解いていた。

私は案内してくれた校長先生に、どうして生徒がこんなに熱心なのかと尋ねた。校長先生は答えた。

「うちの学校の生徒の中には、ついこの前まで児童労働をしていた子がいます。あるいは、明日から働きに出なければならない子もいる。そういう子にとって学校は唯一、自分の成長を実感できる場なんです」

成長を実感できるとはどういうことか。

「児童労働をしている子供って、同じ日常のくり返しなんです。大人に命じられた単純労働を、何も考えずにひたすらくり返すだけ。下手をすると一生です。技術や給料が上がるわけでもない。でも、学校は違います。足し算の次は、引き算があって、さらに掛け算もある。それを習得した先に、輝かしい未来が待っている。児童労働が前の見えない暗闇だとすれば、学校は遥(はる)か先の地平が見渡せる世界なんです。だから、みんな楽しんでいるんです」

私は自分の質問を恥じた。開けた地平が『当たり前』だった小学生の頃の私は、その素晴らしさを考えることなく、「受験が面倒くさい」「働くのは嫌」と否定的にしか捉えていなかったのだ。

私は日本には「五月病」という言葉があるが、タンザニアはどうかと訊(き)いてみた。校長先生は笑って答えた。

「うちの学校では、新学期の方が生徒が少ないんです。でも、一カ月経つと、学校が楽しいという評判が広まって、登校する生徒がどんどん増えてきます。みんな児童労働を強いる親を説得してでも来ようとするんです」

日本では不登校や別室授業が珍しくなく、新学期になれば児童の自殺が増えるので注意しましょうと警告される。

通学が『当たり前』の国と、そうでない国とを分けるものは大きい。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)など著書多数。近著に『砂漠の影絵』(光文社)、『「鬼畜」の家』(新潮社)がある。