立正佼成会 庭野日鑛会長 12月の法話から

昨年12月に大聖堂で行われた式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋しました。(文責在編集部)

よき師、よき先輩を真似て

曹洞宗大本山永平寺の貫首であられた宮崎奕保(えきほ)禅師さまは、100歳を超えても毎朝、座禅修行をされて、平成20年1月に108歳でご遷化(せんげ)されました。私もご縁を頂いて、宮崎禅師さまの永平寺の晋山式(しんざんしき)に参列させて頂きました。

宮崎禅師さまは生前、ご自身を振り返ってこう話されています。

「禅師などと祭り上げられているが、わしはなんにも偉くない。ただ師匠の真似(まね)をしてきただけだ。朝起きてから寝るまで、座禅、食事、草むしり、掃除、読経、みんな師匠の真似をしてきただけじゃ。一日真似れば一日の真似、一年真似れば一年の真似、一生やってほんまもんになる」

とても含蓄のあるお言葉です。結局、真似をしてきたといわれるのです。確かに私たちも、親とか先輩とか、そうした人たちの真似をして生きていると言えます。ご供養も法座も導きも手どりも、みんな先輩の方々から教わって、それを真似てきたのです。また、ご法の習学も見様見真似(みようみまね)で取り組んで、ようやく自ら実践できるようになってきたと言えます。

日本語の「学ぶ」という言葉は、真似をするという「真似ぶ」が語源とされています。特に小さな子供さんたちは親の真似をする、あるいはいろいろな人のしていることを真似ることでいろいろなことを身につけていくのですから、その影響はとても大きいわけです。禅師さまの「真似をしてきただけだ」という言葉には、素晴らしい内容が含まれています。

人間はいくら学んでも、どんなに経験を重ねても、「これで出来上がった」という完成はありません。ですから、常に新鮮な気持ちで、一生学んでいくしかないのです。そのお手本となる、よき師、よき先輩の真似をして、ひたすら仏道を歩んでいく、それが精進であると言えます。本当に一つ一つ先輩から学んでこそ、今日の私たちがあるのです。
(12月1日)

極楽は、自分の心から生まれる

一休禅師のこういう歌があります。

「極楽は西にもあれば東にも 来た(北)道さがせ 皆身(南)にぞある」

極楽浄土は西にあるだけではなくて、「皆身にある」――どこか特別な地域が極楽だというわけではなく、みんなの身、つまり自分の心が決めるのだということです。

仏さまの教えを頂く私たちが、人さまと和になって平和な世界をつくるということ――それが極楽です。みんなが幸せになるために、宗教の心、法華経の精神、菩薩の精神をもって世のため人のためになっていくことが、私たちの務めだと思います。
(12月1日)

壮大な宇宙と自分が一つに

お釈迦さまが悟りを得られたのは12月8日の明け方、金星(明けの明星)が東の空に輝く時でありました。その時、お釈迦さまは、金星を見て、「自分が輝いている」と感じられたともいわれています。いわば、お釈迦さまは、自分を金星にまで広げて悟られたということです。真の理解が大きな宇宙にまで広がっていくと、人間は悩みがなくなるとさえいわれていますが、そういう状態であったのではないかと思います。

仏教に「全機(ぜんき)」という言葉があります。大きな宇宙と自分が一つになるというような気持ちのことです。そうした状態は頭脳が最大に働いている時で、悩み苦しみが全て解決するのだといわれています。

お釈迦さまのおかげさまで、今日(こんにち)、私たちは仏教に出遇(であ)い、大乗菩薩道を歩んで救われ、また多くの方々をお救いもして、今の佼成会があります。本当に有り難いことです。
(12月8日)

自らの「心田」を耕してこそ

『スッタニパータ』(パーリ語の経集)には、お釈迦さまが婆羅門(ばらもん)に対して、「汝(なんじ)は土地を耕すが、我は人々の心田を耕す」と話されたとあります。私も、「心田を耕す」ことを大事にさせて頂いてきました。

佼成会では、創立から20年ごとに切って、「方便時代」「真実顕現」「普門示現」とそれぞれの時代を表し、創立60年に達した時に「心田を耕す」ことを目標に示しました。お釈迦さまがおっしゃっているのは、やはり、一人ひとりの心田を耕すことであり、それは仏教徒であれば一生、また全ての人にとっても大切ではないかとの思いからでした。

なぜ「心田」という言葉を使うのかというと、心とは田んぼのようなもので、心は仏の種が植えられるべき場であるからです。日本は特に、瑞穂(みずほ)の国といわれます。田んぼに稲を植え、成長して採ったお米を食べているわけですし、私は田舎(いなか)で田んぼに入って田植えをし、稲しょい(背負い)をした体験がありますので、この言葉をとても心地よく感じます。

大地に種をまけば、お米とか麦、粟(あわ)、豆、小豆、黍(きび)、稗(ひえ)などが採れます。そうした穀物が大地から採れるのと同じように、私たちの心に仏性という種――仏種をまいて、そこから私たちの心がどんどん成長します。それはまた、人さまにこの尊い妙法をお伝えすることにつながっていきます。「心田を耕す」という短い言葉の中に、本当に大事なことが込められているのです。
(12月8日)

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