利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(50) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

因果は眩ませない

禅の公案に「不落因果」という言葉が出てくる(『無門関』第二則「百丈野狐」)。ある僧が修行者から、長年修行を重ねた人でも因果律(あらゆる現象は何らかの原因から生じた結果であるという法則)にとらわれるのかと問われ、大悟した人は「不落因果(因果律の制約を受けない)」と答えたところ、その答えが誤りであったために、僧は長期間にわたって野狐(やこ)に身を堕(お)とされてしまう。その後、「不昧因果(ふまいいんが・因果律を眩=くら=ませることはできない)」と喝破した百丈禅師の言葉を聞いて大悟するという逸話である。

コロナ禍は、因果律を免れることはできないというこの一転語(迷いを転じて悟りを開かせる一語)通りに展開している。先月に緊急事態宣言の解除を憂えて政治の責任放棄だと指摘したが、解除後わずか1カ月くらいで、宮城・大阪・兵庫(4月5日)、続いて東京・京都・沖縄(同12日)で「まん延防止等重点措置」が始まった。これは、緊急事態宣言から言葉が変わっただけで、中身はあまり変わらない。解除以前から感染者の再増加が始まっていたのだから、当然の「結果」だと言える。これは大阪にも当てはまるだろう。現在、1000人以上という過去最多の感染者数が連日続いていて、東京以上に深刻な状態に陥っており、さらに3度目の緊急事態宣言に移行する可能性すら議論されている。吉村洋文知事(大阪維新の会)の要請で2月末に大阪府の緊急事態宣言が先に解除された経緯を考えると、この状態は大阪政治が自ら招いた点は否めない。

政治が決定的な間違いを繰り返していると、因果による不幸が現れてくる。権力はオリンピックをはじめスポーツや芸能を利用して人々の歓心を買おうとし、メディアには陰に陽に圧力をかけて真実を糊塗(こと)しようと目論(もくろ)んでいる。通常時ならば一定期間はそれで政策の失敗をごまかすことができるのだが、感染拡大と死の増加によって医療が逼迫(ひっぱく)すると、真実を隠しきれなくなる。こうして感染症は因果律の働きを直視するように人々に迫っているのである。

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