清水寺に伝わる「おもてなし」の心(12)最終回 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

2020年大晦日(おおみそか)に鐘楼で「除夜の鐘」に臨む清水寺の僧職。境内に響き渡る澄んだ鐘の音が、一年の悩みや苦しみを取り去り、新年への希望と活力を与える

使命そのものに他ならぬ「大欲」を果たすために

当初は半年、計6回の予定にて本寄稿の大役をお引き受けし、結果的には一年間もの貴重な機会を拝受することとなった。こうした連続寄稿は初めての縁にて、皆様から長きにわたりご支持を頂いてきたことが感慨深く、改めて関係各位のご法光を大変有り難く思う。

立正佼成会様(以下、佼成会)を中心とした読者の皆様のお役に、果たしてどれだけ応えられているか甚だ心配ではあるが、これまで清水寺での「おもてなし」の心を通してお伝えしてきたことが、ほんの少しでも皆様の信仰活動の支えや日々の生活における気づきの一助になれば幸いと願うばかりだ。

とにもかくにも、こうして結びの寄稿を迎えるにあたり、改めて自らの内から湧き上がる声に耳を澄ました時、この場を借りて、どうしても佼成会について感じるところをお伝えしたいという思いに至った。本来のテーマから離れてしまうかもしれないが、どうかお許し頂きたい。

初めてのご縁は、住職の随行にて群馬県の高崎教会に寄らせて頂いた時だった。教会に向かう道の両側に、会員の皆様が旗を振りながら住職を迎える光景を今もはっきり覚えている。誰一人やらされているという印象はなく、本当に心から歓迎してくれているという喜びに、随行の身でありながら、当時の自分にはその気持ちが大き過ぎて、どこか気恥ずかしくも感じてしまったくらいだ。

一泊二日という短い間ではあったが、会員の皆様が滝瀬惠一教会長(現・上尾教会長)のご指導のもと、事の大小にかかわらず、自らあずかった役目を懸命に、そして少々緊張しながら務めておられたお姿を拝し、初対面であっても確かな人の温かみが通じ合う、そんなひとときに立ち会うことができた。以来、お陰様で全国の多くの教会に寄らせて頂いたが、その温かみはどこも素晴らしく、毎回感動を覚えている。

こうして佼成会との縁も深まり始め、少しずつではあるが、見識を広げるためにとシンポジウムや諸宗教対話の機会にもお導きを頂くようになった。しかし当時の私は、WCRP(世界宗教者平和会議)にて役目に関わる前でもあり、単立寺院の若輩僧侶が参加したところで何か力を発揮できる訳もなく、右も左も分からない状態だった。

2019年にACRPのアジアユースキャンプで、フィリピンを訪れた大西師。現地の先住民と交流し、環境保護について意見を交わした

一方で、周りを見渡すと大先輩たる諸先生方が顔をそろえ、しかも互いに旧知の仲といった様子が大半だった。また、それ以外の方々においても、多くがそれぞれ属する教団より複数名で参加しているため、今思うと自ら必要以上に壁をつくっていたところもあるが、少なくとも当時の自分には教団ごとに閉じこもりがちに見えた。

そんな中で一人、右往左往している私に、優しく声を掛けてくれたのが佼成会の皆様だった。特に赤川惠一先生(国際伝道部部長)、西澤弘安先生(上田教会長)には多くの慈悲のお心を拝受した。

やがて、自らの法務も多岐にわたり、WCRPに入会させて頂くようになってきた頃、以前までは遥(はる)か遠い存在という思いが強かったような先生方とお目にかかる機会が増えてきた。特に中村憲一郎先生(京都教会長)、澤田晃成先生(総務部部長)、神谷昌道先生(アジア宗教者平和会議=ACRP=シニアアドバイザー)、畠山友利先生(ニューヨーク教会長)、國富敬二先生(理事長)、そして川端健之先生(顧問)からは常に大きな励ましと、事の大小にかかわらず、目の前の平和活動、勉強会、対話に真摯(しんし)に向き合う姿勢を示して頂いた。

青年部会やタスクフォースなど、より積極的に活動の機会をあずかるようになり、いつしか日本委員会の篠原祥哲先生(事務局長)、有路誠市郎先生(平和推進部長)、橋本高志先生(平和推進副部長)はじめ事務局の方々とは、学生時代からの親友たちよりも頻繁に顔を合わせるようになった。彼らの特徴はなんといっても「腰は低いが押しは強い」である。私に対してもそうであったが、周りに依頼をする時に原則断られることを想定していない。そんな彼らの強引さに些(いささ)か戸惑うこともあったが、見方を変えると、そこに彼らの使命感が内在しているように思う。実はこの「使命」というキーワードこそが、私が思う佼成会を端的に表現している。

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