利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(47) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

新年における「暗」――緊急事態宣言と連邦議会占拠という日米の非常事態

新年の連載初回にあたって、明暗を述べることにしよう。

案じていた通り新型コロナウイルスの感染者は昨年末から爆発的に増加し、新年早々に首都圏に再び緊急事態宣言が出され、1月8日から始まった。この事態に及んだ最大の原因は明白だ。時の為政者が、二代にわたって感染症対策において無為無策を続けて、「ウィズコロナ」というような標語を作って徹底的努力を回避し、あまつさえ「Go To トラベル」や「Go To イート」というキャンペーンを行って首都圏から全国にウイルスを拡散して蔓延(まんえん)させてしまったからである。リスクは科学的に明らかだったのだから、本来は第1波の時から検査態勢と医療体制を飛躍的に改善し、全力で感染再拡大の危険に備えるべきだったのだ。今回の緊急事態宣言は、飲食店の時短営業を柱にするものに過ぎず、効果は限定的と言わざるを得ない。この結果、収束には時間がかかってしまい、経済的なダメージも拡大していくだろう。

私は昨年来、感染症対策における国家機能の停止を憂えて「国家護持の祈り」について書いてきたが、まさに国家が崩落するような国民的危機が昂進(こうしん)してきた。歴史上の感染症大流行は、悪しき為政者に対する天の怒りと解釈されて、為政者が心正しき人に交代して初めてやむとされた。政治が根本的に改まり、利権に流されることなく、人々の生命を守るという政治の使命を最優先にして全身全霊で取り組む政権が実現して初めて、この危地を脱して国家の再生を図ることが可能になる。

この深刻な事態に直面して、お屠蘇(とそ)気分が一気に冷めてしまった人は多いだろう。これは、日本だけではない。世界に目を向けてみれば、新大統領を決定する連邦議会の投票の最中に、トランプ大統領がスピーチで人々を煽(あお)り、熱烈な支持者たちが連邦議会に乱入し、死者が出た。戒厳令やクーデター、内乱を想起させるような展開であり、民主主義の母国と目されてきたアメリカでの、耳を疑うような歴史的事件だった。数年前だったら夢想だにしなかったような非常事態が、怒濤(どとう)のごとく日本でも世界でも進行しているのだ。

特集『「ウィズコロナ時代」へ』で書いたように、今は戦後最大の危機であり、人類がコロナ禍や地球環境問題をはじめとする危機的事態を乗り越えるためには大きな文明的変容が迫られていると思われる。だからこそ、このような異常な事件が次々と生じているのだろう。これらが、先月(第46回)に書いたような、「鬼」の世の表れである。

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