現代を見つめて(53) 「生きる」という力はどこから 文・石井光太(作家)

「生きる」という力はどこから

今年七月、京都でALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う女性がインターネットで出会った医師二人に安楽死を依頼し、実行してもらうという事件が発覚した。

ALSは全身の筋力が衰え、身体の動作だけでなく、自力での呼吸もできなくなる病気だ。最後は目も開けられず思考能力以外のすべてを失う「完全閉じ込め症候群」になる。患者の七割が人工呼吸器をつけることを拒むという。

ただし、今回の事件のように自殺を選ぶ人は稀(まれ)だ。人工呼吸器をつけるかどうかの選択はあれど、多くの患者は周りの助けを得ながら、できるだけ長く生きようとする。

あるALSの女性患者は、私にこう話してくれた。

「私には子供はいませんが、妹やヘルパーさんなどたくさんの人が身の回りの世話をしてくれています。それなのに、私から死を選んだら彼らを悲しませることになるじゃないですか。大切な人にそんな思いをさせたくないんです。私の命は私だけのものじゃありませんから、一生懸命生きたいです」

同じような言葉は、末期がん患者を取材した時にも聞いた。自分を愛し、支えてくれている人のために全力を尽くして日々を過ごしているのだ、と。

生きるとは何だろう。

若い時は誰もが自分のために生きようとする。だが、いつしか親のため、子供のため、配偶者のため、それに自分を支えてくれる人のために生きるようになっていく。

その背景には、人に心から愛され、必要とされた経験を積み重ねてきたことがあるだろう。だからこそ、たとえ先の見えない重い病によって苦しんでいても、前を向いて進んでいこうとする。

むろん、何のために生きるかは、人の自由だ。自分のために生きることが悪いわけじゃないし、他人のために生きるのが良いわけじゃない。

ただ、先の彼女がこんなことを言っていたのが印象的だった。

「この人たちのために生きようって考えると、自分でも信じられないくらいの力がわいて、がんばれるんです。たった一人で自分のことだけを考えていたら、そうはならなかったと思います」

人は一人で生まれて一人で死ぬと言うが、心の中は必ずしも一人ではないのかもしれない。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

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