清水寺に伝わる「おもてなし」の心(2) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)

無数の陰徳に包まれて

我々が紹介する諸堂伽藍(がらん)も、日々生活する日常も当然、見えるものが全てではない。その現状を支え、維持するために、無数の力が作用している。例えるならば、“下りエスカレーターを上るように、一生懸命に駆け足で上がって初めて同じ場所を維持している”のだ。諸行無常であるが故に、正確には同じではないが、少なくとも実感として現状維持を感じるのであるならば、エスカレーターでの駆け足のように、無数の力総がかりの賜物(たまもの)である。

庭野日敬開祖様に度々ご来山賜(たまわ)った山内塔頭(たっちゅう)成就院客殿に、「月の庭」という名勝庭園が広がっている。年に3週間程度のみ特別公開をしているが、公開の有る無しにかかわらず、年間100日以上、決まった庭師たちが手入れしている。庭が造られて約400年。未来へ、つまり今日へと護持継承するために同じく無数の人の尽力、思いが積み重なってきた。さらには、森羅万象さまざまな自然の働きも片時も止まることなく常に注がれ続けている。つまり見えるいのちを支えるために、無数の見えないいのちが背景にある。

成就院の縁側で懇談する大西良慶(りょうけい)和上と庭野開祖。両師は長年にわたって親交を深め、肝胆相照らす仲となった

「サービス」と「おもてなし」、どちらも相手に対して誠を尽くし、迎える行為は同じである。サービスは、その労を相手に知らせ、お金か何かしらの対価を求めるのが前提である。一方でおもてなしは、相手に尽くした労を気づかれようが気づかれまいが真摯(しんし)に努め、見返りを求めない。こういう違いがあると理解している。

『論語』にある「徳不孤(とくはこならず)」や大学にある「徳潤身(とくはみをうるおす)」は、当山の住職がよく色紙等に揮毫(きごう)する文言だ。ここでの徳とはいずれも陰徳のことであり、人が見えないところにて努める善行である。歴史や文化、そして我々の日常は無数の陰徳に包まれている。この真理を再確認する場としても寺がある。見えないものへの意識、感謝や尊敬の念は先師、先達、先祖たちが大切にしてきたものであり、我々が未来へ強く継承すべきではないかと、改めて実感する。

日々迎える相手に、誰しも陰徳に包まれていることを伝えようと努めている。ただ、その努めだけでは未熟だ。相手に伝えようとする意識すら自分の中で不要になるくらい、自身を通して少しでも相手が自然に何かを感じて頂けるように、日々精進を重ねて参りたい。

プロフィル

おおにし・えいげん 1978年、京都府生まれ。2000年に関西大学社会学部卒業後、米国に留学。高野山での加行を経て、05年に清水寺に帰山し、僧職を勤める。13年に成就院住職に就任。14年に世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会青年部会幹事、19年に同部会副幹事長に就いた。現在、清水寺の執事補として、山内外の法務を勤める。日々の仏事とともに、大衆庶民信仰の入口を構築、観光客と仏様の橋渡しを命題とし、開かれた寺としての可能性を模索している。

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