立正佼成会 庭野日鑛会長 2月の法話から

2月に行われた大聖堂での式典から、庭野日鑛会長の法話を抜粋してまとめました。(文責在編集部)

「修行」と「成仏」

大乗仏教では、「一切衆生悉有(しつう)仏性」――つまり、人間だけでなく、世の中のあらゆるものは仏性だと教えています。ですから、人間は仏性で満たされているのであり、本来は、もう成仏しているのだという見方もしています。

では、成仏しているわれわれが、なぜ修行しなければならないのでしょう。

大乗仏教では、修行が必要であるというのではなくて、修行という立場から見れば全てが修行であり、成仏という立場から見れば、全てが成仏し終わっているというのであります。これは結局、「修行」と「成仏」とが同じものの表と裏とであり、常に修行しつつ、常に成仏し終わっている――こういう受け取り方ができるわけです。

もっと具体的に言うと、立正佼成会は在家仏教ですから、私たちの日常生活そのものが仏道修行であるということです。

親子の間でも、親が子供を愛して、子供が立派に成長するようにと務める。その親の心に対して、子供も親孝行をしたいと思う。このことは、家庭生活の中のことではありますが、仏道修行です。家庭生活であれ、道場での修行であれ、日頃のあらゆることが修行であり、仏のはからいであります。

今年の信行方針に「即是道場(そくぜどうじょう)」とあるように、在家仏教徒としては、常日頃(つねひごろ)の自分の生き方が、本当に大事なのです。
(2月1日)

身も心も美しく

日本には「躾(しつけ)」という字があります。身体の「身」と、「美しい」という字を二つ合わせたもので、日本でできた文字ですから国字になります。

「躾」とは、身体を美しくする、きれいにするということですが、人間の身体は心も共にあるわけですから、心も美しく、きれいにすることがとても大事です。宗教はその役割を果たしています。

日本では、食事の時にも作法があり、それを習うと自然な姿で、とても美しく見えます。箸の使い方や碗(わん)の蓋(ふた)の取り方、そうしたことを作法通りに行うと見た目が美しくなるのです。それは、その姿が自然の理に適(かな)っている、ということでもあります。

身も心も美しく、それが自然にできる。身も心も美しく、生活できる。そうなるのが人間の躾です。私たちは、宗教によって自身の心、身体を美しくする躾をしているのです。
(2月15日)

自他共に救われる

「普回向」に「願わくは此(こ)の功德を以(もっ)て 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に佛道を成(じょう)ぜん」とあります。この一句は、法華経の菩薩の精神を、とても簡明に表しています。自分が救われれば、それでいいということではなく、人も自分も共に救われていく――それが菩薩の道です。自分一人の解脱、悟りなどは問題ではありません。「この功徳は、自分のためのものではなく、世のため、人のためのものであります。願わくは、これによって全ての衆生と共に成仏したい」というのが、「普回向」の精神です。

有名な宮沢賢治の言葉に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とあります。これが「普回向」の精神です。こうした法華経の精神、仏の精神を、私たちは読経供養のたび、自分の心に植えつけているわけです。お互いさま、そのことを忘れずに、前進していきたいと思います。
(2月1日)

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