年頭法話 立正佼成会会長 庭野日鑛

自分の居る所すべてが「即是道場」 朝夕行っていることが、そのまま仏道

さて私は、「令和二年次の方針」を次のようにお示ししました。

天地自然は、一瞬もとどまることなく、創造、変化を繰り返しています。私たちもまた、天地の道理(どうり)の如(ごと)く、停滞(ていたい)することなく、何事に対しても、日々新たな気持ちで取り組んでいくことが大切であります。

今年、本会は創立八十二周年を迎えました。その今日に及ぶ歴史の礎(いしずえ)は、開祖さま、脇祖さまをはじめ、先輩の幹部の皆様、信者さんの寝食(しんしょく)を惜(お)しまぬご尽力によって築かれてきたものです。

私たちは今後、教団創立百年に向けて、一人ひとりが、「即是道場(そくぜどうじょう)」(この処は即ち是れ道場なり=このところはすなわちこれどうじょうなり)の精神をもって、そのご恩に報(むく)いてまいりたいと思います。

年次ごとの「方針」は、浸透することを願って、三年間は、ほぼ同様の内容としています。今年は、一部を新たにし、『「即是道場」(この処は即ち是れ道場なり)の精神』という言葉を加えました。

これは、皆さまもご存知(ぞんじ)のように、青経巻の最初に出てくる「道場観」の一節です。

「道場」というと、私たちはまず大聖堂や教会、地域道場などを思い浮かべます。しかし、「即是道場」とは、自分が居(い)る所、住んでいる所、身を置く所、すべてが道場であるということです。

よく相撲(すもう)に譬(たと)えてお話しするのですが、教会や地域道場は、いわば稽古場(けいこば)といえます。本場所は、あくまで家庭や職場、学校、地域社会です。

日々の生活の中では、本当にいろいろなことが起こります。自己中心の人もいますから、お互いが理解し合い、仲良くしていくのは、並大抵(なみたいてい)のことではありません。

相性の悪い人に出会ったり、冷たい言葉、厳しい言葉を投げかけられたり、無視されたりして、悲しく、つらい思いをすることもあるでしょう。

しかし人間は、不自由であったり、不都合であったりするからこそ、それを何とか乗りこえていこうという気持ちを起こします。何一つ試練がなかったとしたら、おそらく人間は向上できないと思います。

ですから、困難に出遭(であ)った時には、「人間として成長するきっかけを頂いた」「ここが踏ん張りどころだ」という受け取り方をして、目の前のことに最善を尽くしていく――それが「即是道場」の精神であります。

とりわけ在家仏教徒にとっては、日常生活のあらゆることが修行です。何か特別なことをするのではなく、人と会って話をすること、仕事をすること、学校生活を送ること、料理や掃除をすること……。その一つひとつのことに、手を抜かず、丁寧に、心を込めて取り組んでいくことで、良い習慣が身につき、自(おの)ずと身心が調(ととの)うのです。

特に家庭は、最も甘えやわがままの出やすい場所です。親しい関係であるがゆえに、遠慮のない、きつい言葉が飛び交うこともあるでしょう。そうした中で、感情を抑え、私心を捨てて、仏の教えに沿って実践していくことは、何にも勝(まさ)る厳しい修行です。家庭こそは、「人間形成の根本道場」なのです。

江戸時代初期の臨済宗の僧侶である至道無難禅師(しどうぶなんぜんじ)が、次のような道歌(どうか)を遺(のこ)されています。

道という言葉に迷うことなかれ 朝夕己(おの)が為(な)すわざと知れ

仏道と言うと、大変立派で難解なことのように聞こえるが、そんな言葉に迷ってはならない。あなたが朝夕行っていることが、そのまま仏道であることを知りなさい、という意味合いです。この道歌は、「即是道場」の精神を、よく言い表していると思います。

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