新・仏典物語――釈尊の弟子たち(25)

生と死と I われを礼拝するものは

破れた板壁の隙間から日差しが差し込んでいました。その光の筋が薄暗い庵(いおり)の中で臥(ふ)せっている若者の顔を照らしていました。若者は顔を背けようともしませんでした。もう、その力もなかったからです。頬はそげ、熱を帯びた目は潤み、身体に掛けた薄い上掛けが苦しそうに上下していました。この朽ちた庵で、若者が養生を始めてひと月ほど経っていました。若者は出家したばかりの名もない修行僧でした。

静かに板戸が開きました。庵の中が光であふれました。若者は目をしばたたきました。戸口には陽光を背に人が立っていました。黒い影となった、その横顔に光が当たりました。思いもかけない人の来訪に若者は驚き、身を起こそうとしました。それを押しとどめ、その来訪者は若者の傍らに腰を下ろしました。若者を看病してきた僧に案内され、庵を訪れたのでした。

「私のような者の所まで足を運んでくださるとは、もったいないことでございます。何度も精舎に参ろうとしたのですが、体が言うことを聞きません……お釈迦さま」。若者の口調は死を覚悟しているのか淡々としていました。釈尊も若者の命がいくばくないことを悟られたようでした。「そなたの両親に伝えることはないか?」「父も母もすでに病気で身罷(みまか)りました。働きながら看病したのですが、力及びませんでした。両親を弔った後、お釈迦さまのお弟子に加えて頂いたのです。父と母の分も生きて、立派な僧になろうと思っていたのですが……。それももう、かないません」。若者の顔に諦観したような笑みが浮かびました。

「生き切った、そう思えるのだな、そなたは。それが人間にとって一番、幸せなことかもしれぬ」「今こうして、お釈迦さまにお目にかかれ、思い残すこともありません」「われを見たとて何にもなるまい。私を礼拝(らいはい)する者は、法を見よ。法に従い生きる者は、いつもわれと共にいる。だから、私が明らかにした教え、法を依りどころにせねばならぬ」。

法とは何か。若者の問いに応え、釈尊は教えを説き始めました。若者の蒼白(そうはく)な顔がかすかに赤みを帯び始めました。澄んだ釈尊の声が心地良いのか、若者はまぶたを閉じました。静かに安らかに、そして再び、そのまぶたは開くことはありませんでした。

(雑阿含経より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています