立正佼成会 庭野日鑛会長 2月の法話から

有り難さに気づく

仏さまの教えを頂く私たちにとって何が有り難いのかというと、私は、いつも次のように申し上げています。とても分かりやすい法句経の中に、こういう言葉があります。

人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し。正法(みのり)を耳にするは難く、諸仏(みほとけ)の世に出(い)づるも有難し

これは、簡単に言えば、「人が生命を受けることは難しく、必ず死ぬことになっている者が、たまたま生命があるということは、本当に滅多(めった)にない、有り難いことだ。生命を受けたとしても、その生きている間に、正しい教えに接することは滅多にないことであり、仏さまが満ちているこの世、地球に生まれることも滅多にない、本当に有り難いことである」ということです。

こうした仏さまの教えの中から、「有り難い」という言葉、「感謝」ということが出てきているのです。ですから、この世で最初に「感謝」ということを発見されたのは仏さまということになります。今、私たちも、その「感謝」の心を頂いて、精進させて頂いているということです。
(2月1日)

画・茨木 祥之

「まず人さま」の実践

法華経によりますと、仏さまは、菩薩行の実践を願っておられます。菩薩の精進の中でも、特にこういう方が尊ばれるといわれています。

普通には、自分が仏さまの教えを頂いて、ある程度の悟りを得てから、その喜びを人さまにお伝えをしようとします。まず自分が先で、人さまにお伝えするのは、多少後ということになります。しかし、そうではなくて、自分がまだ悟っていないけれども、まず人さまを悟りに導こうとするのが、本当の意味での菩薩だといわれるのです。自分が悟ろうとするよりも先に、他の人々に悟ってもらおうという願いを抱いて、実践をする、実行する。その人こそ本当の菩薩だ――このようにいわれております。

私たちは、そうしたことも心に秘めて、お互いさまに精進をさせて頂きたいと思います。
(2月1日)