幸せのヒントがここに――仏典の中の女性たち(12)最終回 文・画 天野和公(みんなの寺副住職)

画・天野 和公

偉大な母――パジャーパティー

お釈迦さまには二人の母親がいます。一人は産みの母、マーヤー。もう一人はその妹で、産後7日で亡くなったマーヤーに代わり、育ての母となったパジャーパティーです。

この姉妹は、そろって国王スッドーダナの妃(きさき)でした。パジャーパティー自身もお釈迦さま生誕の数日後にナンダ王子という息子を産んだのですが、その子を女官に預けてお釈迦さま(シッダッタ王子)を養育しました。

お釈迦さまは深い愛情を一身に受け、立派な青年に成長します。正妻ヤソーダラーも長男ラーフラ王子を産み、城は沸き返るような喜びに包まれました。その喧騒(けんそう)も静まる夜半に、お釈迦さまは城と家族も捨てて出家します。

6年間の修行の末、ついに悟りを開いたお釈迦さまは、のちに故郷カピラヴァットゥへ帰り、自らが悟った真理を説きました。この時、ラーフラ王子やナンダ王子をはじめ、多くの釈迦族の子弟が一斉に出家しました。

父王の死後、再び故郷を訪れたお釈迦さまに、老いたパジャーパティーはこう訴えます。「私も出家したいのです。どうかお許し頂けませんか」。

お釈迦さまはこの願いを却下し、はるか東南の都市ヴェーサリーへと旅立ちました。その当時、僧侶は男性のみ。僧院には尼僧が住む場所も規律も定められていなかったのです。

パジャーパティーは驚くべき行動に出ました。釈迦族の女性500人を引き連れて、数百キロの道のりを徒歩で追ったのです。一団の中にはヤソーダラーもいました。彼女たちは自ら剃髪(ていはつ)し、黄色い衣をまとい、裸足で歩きました。宮殿から出ることもなかった彼女たちの柔らかな足は、見るも痛々しく血にまみれたことでしょう。