おもかげを探して どんど晴れ(8) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

「即身仏」

近年、災害が多くなっています。昔も、そのような災害に見舞われた時代が幾度となくありました。

火山の噴火、洪水、地震などによる天災が重なり、作物の不作、食べるものがない飢饉(ききん)という状況に見舞われて、結果、飢餓で多くの人たちが命を落とした時代がありました。

その中で、大災害が重なり大変な飢饉になった「天明の大飢饉」(1782―88年)は近世で最大の飢饉と呼ばれ、数多くの人が飢えで亡くなりました。
「飢饉が早急に終わり、民が安心して暮らせるように。一人ひとりの願いを聞きかなえる対象(仏)となる」。そう誓い、即身仏になるべく行に入る僧が、被害の大きかった東北地方を中心に多かったと聞きます。

即身仏とは、自らが仏となるべく、10年以上の長い年月の間、とうてい常人には耐えれられないほどの苦行を重ね、体をつくり上げていきます。

十穀から五穀に、五穀から三穀に、三穀から一穀に、一穀から0(ゼロ)にと、食べる穀物の数量を減らしていき、木の皮や根を食べる木食行を経て、最後は自分の体が腐敗しないように、いよいよの時に人体には毒となる漆を自ら飲むと伝えられています。生命活動が終わった体は腐敗が始まると虫がつき、形が崩れていきます。形を残してこその即身仏であるため、形が崩れてしまうのを防ぐため、防腐剤として漆を飲むのです。そのような苦行であったため、途中で断念し諦める僧も多かったといわれます。

特に山形県を中心とした東北地方の寺院には即身仏が20体弱安置されています。現代はガラス越しに即身仏に心の内を相談し祈願、お参りできるお寺もあります。

私の母方の先祖には、即身仏を志し、漆を飲んで土に入定(土中入定)した僧がいます。私の血のつながった遠いおじいさんということでしょうか。地元に伝わる昔話と文献には、入定の様子が語り継がれています。

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